熊本藩主・加藤清正が朝鮮の役の際に持参したとされる、現在ではお土産としても人気のお菓子は?

熊本に古くから伝わる伝統菓子があります。加藤清正が朝鮮出兵の際に持参したという由緒あるお菓子で、地元の方はもちろん、定番のお土産としても広く親しまれているこのお菓子についてお話しましょう。

400年以上前から伝わる熊本銘菓・朝鮮飴

「朝鮮飴(ちょうせんあめ)」は、もち米粉、水飴、砂糖をていねいに練り合わせ、片栗粉をまぶした熊本銘菓です。「飴」とついていますが、飴のように固くはなく弾力があってもちもちとしており、お餅に近い食感。もち米の弾力感と砂糖の素朴な甘味が楽しめる昔懐かしい味が人気です。もともとは長方形に型切りした形ですが、最近では丸い形のものもあります。

朝鮮飴の歴史

朝鮮飴は今を遡ること約1200~1300年も昔、有明不知火海沿岸に流れついた遣唐使が中国の製法を伝えたのが起源とされています。当時は日持ちのする保存食として「長生飴」や「肥後飴」といった名称で呼ばれていました。

その後、文禄年間に肥後の将兵が古来から伝わるこの飴を、陣中で作っているのを初代熊本藩主である加藤清正が目に止め、文禄・慶長の役(1592~1598年)で朝鮮に出兵した際に陣中食として携行しました。気候風土の影響をうけても味が変わる事がなく、長期の保存にも耐えたことから保存食として絶賛し「朝鮮飴」の愛称で通るようになったといわれています。江戸時代は藩が全てを買い上げて、幕府への献上品や参勤交代のお土産にしていたのだとか。明治時代には「維新の三傑」の一人、大久保利通も好んで食べていたそうです。

漫画家・イラストレーターとしても有名な朝鮮飴の老舗店主

「老舗園田屋」は安土桃山時代に創業された由緒ある老舗。現在の19代目店主、園田健一さんは漫画家・イラストレーターとしても有名で、アニメ、ゲームのキャラクターやメカニックのデザインも多数手掛け、漫画の著作には「ブレット・ザ・ウィザード」があります。店主自ら商品などをイメージした美少女キャラを制作し、キャラを描いた店の紙バッグが人気です。

加藤清正と朝鮮出兵

朝鮮飴を兵糧とした加藤清正は、豊臣秀吉子飼い大名の中で圧倒的な人気を誇っています。清正と言えば、熊本城をはじめとする築城の名手であり、賤ヶ岳の戦いで功名を挙げ「賤ヶ岳七本槍」に数えられたことなどで広く知られている武将。しかしながら、清正について語るには、やはり朝鮮出兵での活躍が外せないでしょう。

1592年、加藤清正は豊臣秀吉の命によって、朝鮮外征へ第二軍の主将として出陣します。鍋島直茂・相良頼房などを傘下に置いて、2万以上の兵を率い釜山に上陸し、慶州城を攻略しました。その後、小西行長率いる第一軍と共に李氏朝鮮の首都である漢城(現在のソウル)の攻略を競い、これを落とす事に成功しました。快進撃を続ける清正は第三軍の黒田長政と共に北上し、和平交渉で決裂した朝鮮軍と臨津江の戦って全滅させました。また、続く海汀倉の戦いでも清正率いる第二軍は圧勝、圧倒的な強さを誇る清正に朝鮮軍は「鬼上官」というあだ名をつけ、恐れたと言われています。

加藤清正と朝鮮出兵の話になると、よく語られるのは「清正の虎退治」のエピソードです。虎と対峙している勇ましい清正の姿を、絵画などで見たことがあるという人は多いでしょう。これは清正の陣の近くで人食い虎が出没し、兵だけなく馬にまで被害が出て、清正がこの虎を槍1本で退治したという逸話です。しかし別の説では、秀吉が健康のための薬として虎肉を所望していたので虎を狩り、肉を塩漬けにして日本に送り届けたというものもあります。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 熊本藩主・加藤清正が朝鮮の役の際に持参したとされる、現在ではお土産としても人気のお菓子は?

A. 朝鮮飴