熊本県の郷土料理「一文字ぐるぐる」。何をぐるぐる巻いた料理?

「一文字(ひともじ)ぐるぐる」という料理をご存知ですか? ソーセージでそのような形状のものがありますが、熊本県の郷土料理であるこちらは全くの別物。ある食材をぐるぐるに巻いた料理なのですが、それは一体何でしょうか?

「一文字ぐるぐる」って?

「ひともじ」とは、ふくらんだ根元が特徴的な「わけぎ」に似たネギ一種です。「一文字ぐるぐる」は、このネギをさっと茹でて「ぐるぐる」と巻き、酢みそでいただく熊本県の郷土料理。巻いたことによってひともじならではの歯ごたえが感じられ、噛めば噛むほどにひともじのほどよい甘みが口に広がります。

ひともじは「くまもとふるさと伝統野菜」に選ばれており、熊本の郷土料理になくてはならない、古くから栽培されている食材の一つ。一般に販売されているねぎに比べ根元がぽってりと丸くて葉が細く、味は柔らかくて甘みがあるのが特長です。「ひともじ」という名前の由来は、古くはねぎが「葱(き)」と「一文字」だけで表されていた時代、宮中の女房たちが小粋に「ひともじ」と呼んでいました。その名残りが現在にも受け継がれていると考えられています。

「一文字ぐるぐる」は倹約の結果生まれた料理

一文字ぐるぐるの誕生は古く、天明2年(1782)、熊本藩主6代目の細川重賢が厳しい藩の財政を立て直そうと、「節倹耐乏(せっけんたいぼう)の生活」を推奨した際に、安くておいしい酒の肴として考案されたといわれています。当時からひともじは熊本にて広く栽培されていたので、身近な食材でした。一文字ぐるぐるは鮮やかなグリーンと酢みそとの色合いが美しく、ひともじ独特の香り、甘みと辛味の具合が絶妙で、甘酢っぱい酢みそがさらに味を引き立てます。熊本の地酒と合う大人の味わいなのです。

肥後熊本藩六代目藩主・細川重賢

一文字ぐるぐるが生まれるきっかけとなった「節倹耐乏の生活」を推奨した細川重賢(ほそかわしげかた)という大名はどのような人物だったのでしょうか?

熊本の藩政改革を主導し、のちに「肥後の鳳凰」と称された肥後熊本藩六代・細川重賢は、当時逼迫していた藩の財政再建に奮闘しました。重賢は享保5年(1720)、八代将軍・徳川吉宗による享保の改革時代の真っ只中に五代藩主・宣紀の五男として、江戸の藩邸にて生まれました。正式な後継ぎではなかったため、部屋住みとして幼い頃から苦しい生活を送っていたと言われています。しかし、延享4年(1747)、そんな重賢に転機が訪れました。熊本藩5代藩主の兄・宗孝の急死により家督を継ぎ、28歳で六代藩主となったのです。

家督相続時の藩の財政は、三代藩主である綱利が行っていた文化事業などがきっかけとなり、毎年10万石近くもの赤字に苦しんていました。そこに凶作等も重なって、藩の情勢はさらに悪化することとなり、財政難で参勤交代もままならない状態。藩主となった重賢はまず組織の改変に挑みました。重賢は政を行うためには「人」が重要であると考えており、藩の将来を担う人材を育成するべく、身分の上下に関係なく入学できる藩の学校「時習館」を、熊本城の二の丸に設立しました。この時習館はのちにも数多くの有能な人材を輩出しています。

そして、藩の収入体制の見直しを図るため、藩の収入を年貢米だけではなく、ろうそくの原料となる櫨や和紙の原料となる楮の植樹を促し、養蚕などの産業も薦めました。これらの産業を藩の専売とし、多大な利益を生み出すことにも成功させました。藩内の生活は節約を薦め、重賢自らがその見本となったといいます。このように重賢は様々な手腕を発揮し、三十数年の年月をかけて藩の財政は好転することとなりました。これが「宝暦の改革」と称され、「肥後の鳳凰」の異名が全国に知られていったのです。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 熊本県の郷土料理「一文字ぐるぐる」。何をぐるぐる巻いた料理?

A. ネギ