焼き物の「有田焼き」で有名な有田町は佐賀県。では、みかんの「有田みかん」で有名な有田市があるのは?

「有田焼き」で有名な有田町は佐賀県にありますが、「有田みかん」で有名な有田市はどこの都道府県にあるのかご存じですか?

有田みかんは和歌山の誇り!

日本屈指のみかん生産地、和歌山県有田市。有田川を挟んだ左右の山も、海岸に沿った山々も、見渡す限りみかん畑が広がる、みかん王国です。みかん畑は平地にも民家と民家の間にもと広がっており、水田だった場所にも土を入れてまでみかんの木を植えました。
そして平成29年時点では、有田地区でのみかん栽培は、なんと3,400ヘクタールの規模で、年間約7万4千トンも生産されるほどになっており、全国のみかんのシェアの1割を有田みかんが担っているほどに。全国にみかん栽培の盛んな地域は数あれど、10個に1つは有田みかんという需要の高さなのです。
有田市では、最新鋭の選果機を導入しており品質は抜群。どのみかんも鮮やかに着色し、糖度は12度以上と甘みがあります。程よい酸味とフレッシュさで全国から人気が高く、しかも安定した供給量を保つ信頼のみかんブランドです。

ありた、じゃなくて「ありだみかん」!

佐賀県の有田町は「ありたちょう」なので焼き物も「有田焼き(ありたやき)」と読みますが、和歌山県の有田市は「ありだし」なので「有田みかん(ありだみかん)」と読みます。
古くから「有田みかん」として日本中で親しまれていますが、かつては現在メジャーな「温州みかん」だけでなく、「温州みかん」より小ぶりな「紀州みかん(小みかん)」も栽培されていました。
みかんは種類ではなく生産地で呼ぶため、どちらも「有田みかん」と呼ばれますが、近年の「有田みかん」は、「温州みかん」を指しています。
有田市には有田みかんの歴史などが展示されている、有田市みかん資料館もあります。
みかん栽培の起源については諸説あり、
・永享年間(1429年~1440年)市内の池に橘が自生していて、その実が蜜のように甘かった為、蜜柑と名が付いたという説
・天正2年(1574年)庄屋の伊藤孫右衛門が、紀州藩の命を受け肥後の八代から小みかんの苗木を2本持ち帰り、栽培を始めたのが始まりという説
この2つが有力です。
そんな「有田みかん」ですが、2006年10月には地域団体商標の第一弾として地域ブランドに認定されました。

みかん船伝説!

有田地域でみかんの栽培が始まってから450年ほどの歴史が経ちましたが、その歴史の中で江戸発祥の寄席芸・お座敷芸の謡に取り入れられるほど有名になった「みかん船伝説」をご存じですか?
それは、江戸へみかんの出荷が始まってから50年が経った貞享2年(1685年)、紀伊國屋文左衛門が嵐の中、みかんを船で運んだというお話です。
その年、紀州では驚くほどみかんが大豊作だったのですが、嵐で江戸への航路が閉ざされていました。江戸へ運べなかったみかんが余り、上方では商人に買い叩かれ、みかんの価格は暴落していました。
しかし、江戸は江戸で鍛冶屋の神様を祝う「ふいご祭り」の時期が近づき、祭りで毎年ばら撒いていた紀州のみかんが届かず値が高騰していました。
そこで20代の文左衛門は、大金を借りてミカンを買い集め、ぼろい大船を直し、命懸けで嵐の太平洋に船出をしました。この命がけの大航海が、江戸の俗謡「かっぽれ」で歌い継がれています。嵐を乗り越えみかんを運んだ文左衛門は、江戸の人気者になり、やがて大商人になったというお話です。
この伝説も諸説はありますが、昔からみかんが有田の宝だったと伺えます。

自慢いろいろ、有田市! 

和歌山県中部に位置する有田市は、有田川の河口近く、海、山、川の自然に恵まれたところです。
有田みかん発祥の地というだけではなく、
・日本最古の稲荷神社があった跡地「稲葉根社」がある。
・蚊取り線香の発祥の地。世界初の蚊取り線香は金鳥の紀州工場生まれ。
・タチウオ漁獲量は日本一。
などのたくさんの自慢があります。
5月には一面に白く可愛らしいみかんの花が咲き、10月から12月にかけては有田川を挟んだみかん畑の山々が鮮やかな黄金色に輝きます。有田市内はいつでもみかんのさわやかな香りに包まれています。
有田みかんを使った、フレッシュジュース、ジュレ、フルーツコンポートなどお土産も色鮮やかでお洒落なのです。

ザ・ご当地検定の問題

Q.焼き物の「有田焼き」で有名な有田町は佐賀県。では、みかんの「有田みかん」で有名な有田市があるのは?

A.和歌山