鶏肉に衣をつけて揚げた「とり天」といえば、どこの郷土料理?

「とり天」という料理をご存じですか?その名の通り「とりの天ぷら」?それてとも「とりの唐揚げ」?最近ではうどん屋さんなどのトッピングでもみかける事が多くなって、知名度もあがってきました。とり天とはどのような料理なのでしょうか。今回はとり天についてご紹介します。

とり天は大分の郷土料理

とり天は大分県の郷土料理です。大分県のソウルフードとして広く地元に愛されているとり天は、鶏肉に衣をつけて油で揚げた、唐揚げにもとりの天ぷらにも似ている料理です。最近ではうどん屋さんのトッピングなどでも多く採用されているため、全国的にもその名が広まってきました。

多くの大分県民にとって、とり天は当たり前のように食卓に並んだ、家庭料理の定番料理となっています。

とり天発祥の店はどこ?

とり天の発祥については、2つの候補があり、大分市の「キッチンいこい」であるという説と、別府市の「レストラン東洋軒」であるとい説があり、いまだに決着はついておりません。

現在の別府市浜町で、1926年に宮本四郎氏が開業した「レストラン東洋軒」。初期のメニューには「炸鶏片」(チャーケイペン)という料理があり「鶏肉ノテンプラ」と説明されていたそう。現在の店主も「レストラン東洋軒」が発祥であるとしています。

一方大分市では定食店「キッチンいこい」が元祖として紹介されることが多いそうです。年代としては別府市の方が古いですが、「キッチン丸山」の店主いわく、以前からある、いわゆる「とりの天ぷら」とは違い、1960年頃に「いこい」の店主と共同で考案した料理である。との主張だそうです。なお、大分市観光課が発行したパンフレットでとり天が大分市内の食堂で生まれたと紹介されたことに対し、別府市観光まちづくり室は大分市観光課長に対して異議を申し入れたりなど、別府市観光協会は「レストラン東洋軒」を、大分市観光協会は「キッチンいこい」をそれぞれ主張しており、両者共にどちらも譲っておりません。「元祖とり天」の発祥の地をめぐって、現在もどちらが元祖であるかについて、お互い主張しているようです。しかしこの「元祖対決」のおかげというか、結果的には、大分名物としてのとり天を全国的に有名にした。といっても過言ではないかもしれません。

発祥のお店対決、真相は分かりませんが、各店のとり天を食べ比べて、自分なりの結論を妄想してみるのも面白いかもしれませんね。

とり天はとりの天ぷらではない?

鶏肉の消費量が全国トップクラスである大分県。その大分県のとり天は各店ごとに個性があります。使うお肉はもも肉かむね肉によってジューシに仕上がるかあっさりに仕上がるかはもちろん、下味をニンニク系にするか、塩系にするか。またはつけだれにカラシを付けるか否か…とにかくお店によってとり天には個性が出ます。

しかし、とり天の基本的な調理方法は変わらない事が多いようです。唐揚げでもなく天ぷらでもないとり天。どこが違うのでしょうか?

まず、とり天には下味が付きますが、天ぷらには普通は下味はつけませんよね。しかし唐揚げにはつけます。では唐揚げなのか?というとそうでもありません。

次に、溶き卵、水などで小麦粉を溶き、衣をつけて揚げます。ここは天ぷらと同じですね。唐揚げの場合は片栗粉などの粉をまぶしますので唐揚げとも違うのですね。食べるときのタレも、酢醤油に練り辛子を溶いたものが一般的だそうで、天ぷらのように天つゆにはつけません。食べ方もどちらとも違います。

こうしてみると、唐揚げでもない、天ぷらでもない、「とり天」という食べ物だという事がよくわかりますね。一度食べるとサクサクとした衣がやみつきになりそうです。

とり天の食べ方

ザ・ご当地検定の問題

Q.鶏肉に衣をつけて揚げた「とり天」といえば、どこの郷土料理?

A. 大分