岐阜県長良川の「鵜飼」で、鵜が捕まえる魚とは?

岐阜県の清流・長良川。その長良川で古代から行われている伝統の漁業が「鵜飼」です。鳥を使って魚をとってきてもらうというこのちょっと不思議な漁業と、長良川で穫れる魚についてご紹介します。

かつては漁獲高日本一だった

長良川は岐阜県の大日ヶ岳山中を源流とする川。全長166kmの長良川は濃尾平野という平らな土地を流れる部分が多く、水産資源が豊かであるため川魚漁業も発達しました。特に、天然アユの遡上が多いことで知られており、アユ漁が盛んで、一時期はアユの漁獲高日本一にもなっています。もっとも、漁獲高が多くても、平坦な流れの長良川のアユはあまりおいしくはなかったようで、『美味しんぼ』の海原雄山のモデルとして知られる美食家・北大路魯山人は「身がブヨブヨしている」、戦前の政治家で、かつ『美味求真』という著作もある木下謙次郎は「長良川のアユは有名だが品質には疑問があるなどとあまりいい評価をつけていません。

その長良川のアユも、もっとも多かった1990年代初頭と比べると1/8にまで減少しているとのこと。この減少の理由は、遡上してくるアユ(稚魚を放流したものが戻ってきたものも含める)自体の量が減っているためで、その理由として1994年に完成した長良川河口堰の影響を指摘する声もあります。長良川河口堰には、魚の通り道=魚道があるとはいえ、それまで自由に行き来していた河口の大部分を塞いでしまっているわけですから、その影響はないとはいえないでしょう。

ただ、アユの遡上が減っているのは長良川に限らないことなので、河口堰からの影響は少ないという声もあります。地元漁協では、長良川の源流付近に植林をすることで水質保全をし、アユの遡上を増やす努力をしており、それと同時に、様々なアユ料理を開発するなどして、アユの川としての往時を復活させるべく活動が行われています。

伝統漁法「鵜飼」の歴史

鵜飼は人間が鵜を使役して魚をとってこさせ、人間がその恩恵を受けるという伝統漁法です。日本では長良川以外でも各所で行われており、日本以外でも中国で同様の鵜飼漁が行われてます。また、似たような文化にバングラデシュで行われているカワウソ漁があります。長良川での鵜飼の歴史は少なくとも1300年はあるといいます。つまり、大雑把に言って飛鳥時代ぐらいから行われているということになります。

長良川の鵜飼の特徴は、野生のウミウを捕らえて来て、訓練させて使うということ。そして、その対象がかつて長良川にあふれていたアユであるということです。鵜飼を行う鵜匠は、川船に鵜をつれて乗り込み、川の上で鵜を水の中に放ちます。すると鵜が魚を飲み込み、戻ってくるので、獲物を吐き出させて人間のものとして搾取されてしまいます。鵜ののどには、鵜が獲物を飲み込まないようにリングがつけられているのでちょっと気の毒です。

現在長良川の鵜飼は、産業としての漁業ではなく、岐阜県指定重要無形民俗文化財として保存されています。また、長良川の鵜飼で獲られたアユは、毎年皇室へ献上されています。

長良川鵜飼を見られる時期と場所

長良川の鵜飼は通年行われているのではなく、5月11日から10月15日までの間と定められています。また、豪雨や台風などで増水したときには行われません。現在長良川鵜飼を見られるのは、長良橋付近のみ。鵜飼漁は夜間に篝火を焚いて行われます。それを見る方法は、長良橋の上から見るか、もしくは鵜飼観覧船に乗ること。篝火しか明かりがない中、鵜飼の様子をよく見るには観覧船に乗るのがおすすめです。長良橋までは、JRもしくは名鉄の岐阜駅から長良橋経由のバスに乗り、「長良橋」バス停で下車します。

鵜飼が行われるのはだいたい夜の7時ごろ。それまでは、周辺を観光するのもおすすめです。岐阜県と言えばなんといっても岐阜城。斎藤氏を滅ぼした織田信長が、稲葉山城あとに建造した城です。現在の天守閣は昭和31年に再建されたものですが、山上にそびえる天守閣は、その後の時代の「居城」ではなく乱世の要塞の風格を感じさせられます。

足を伸ばして郡上八幡まで

実は鵜飼でとれたアユは食べることはできません。アユやうなぎなど、長良川でとれた産物を食べるなら、上流の郡上八幡まで足を伸ばすのがおすすめ。郡上おどりで有名ですが、それ以外の時期でも清流が流れる町を歩くだけでも楽しめます。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 岐阜県長良川の「鵜飼」で、鵜が捕まえる魚は?

A.アユ