滋賀県の土産菓子「三井寺力餅」。たっぷりとかけられた、きな粉の色は?

三井寺力餅は、きな粉が餅にまぶしてあるのが特徴的です。三井寺力餅という名前は、怪力で知られた武蔵坊弁慶の逸話に由来があると言われています。2019年現在、作っているのは滋賀県の2軒のみという、三井寺力餅を紹介します。

青大豆から作られたきな粉と抹茶をブレンド

三井寺力餅は、餅に緑色のきな粉がたっぷりとまぶしてあるのが特徴的です。この緑色は、国産の青大豆で作られたきな粉に抹茶を混ぜて作られています。きな粉をまぶした餅というのは全国的にあちこちで見かけますが、このような綺麗な緑色のきな粉がかかっている餅というのはとても珍しいです。緑色のきな粉に、柔らかくコシがある求肥餅を合わせると、優しい甘みのある味わいが口いっぱいに広がります。

三井寺力餅は1996年の滋賀県観光土産品審査会において、一般消費者の人気投票でNo.1に選ばれたほか、2013年には食べログベストスイーツに選ばれています。まさに滋賀県を代表する土産菓子です。

武蔵坊弁慶の怪力に由来する三井寺力餅

三井寺力餅には武蔵坊弁慶に関わる逸話が伝えられています。延暦寺の山門と三井寺の寺門は天台宗密教として同門でしたが、最高位の僧を継ぐべき宗派がどちらであるのかを争っていました。比叡山延暦寺には武蔵坊弁慶という、腕っ節が強く、多くの僧侶に畏れられている僧がいました。三井寺との争いの際には、武蔵坊弁慶は延暦寺勢の先頭に立って三井寺に攻め込みます。その戦いに勝ち、武蔵坊弁慶は美しい音色で知られた三井寺の鐘を戦利品として比叡山まで引きずってきて、鐘を鳴らしました。ところがその鐘をつくと、関西弁で帰りたいという意味のイノー、イノーと響いたため、武蔵坊弁慶はそんなに三井寺に帰りたいのかと怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまいました。そのため今も鐘には傷跡が残っています。

しかし結局は後になってこの鐘は三井寺に返されたようです。時代が降り、江戸時代になって、この霊鐘にちなんで名前をつけた餅を販売するようになったのが三井寺力餅の由来です。

三井寺力餅を作っているのは、三井寺力餅本家と本家力軒

2019年現在、三井寺力餅を作っている店は、滋賀県にある三井寺力餅本家と本家力軒の2軒だけです。

三井寺力餅本家の本店は滋賀県大津市浜大津にあります。1869年創業です。ここでは三井寺力餅をお土産として販売しているほか、喫茶コーナーもあり、店内でゆっくり味わうこともできます。この店以外に三井寺力餅が買える場所は、名神草津パーキングエリア上り線と下り線、琵琶湖ホテル売店、大津プリンスホテル売店、三井寺風月堂売店、名神大津サービスエリア下り線、湖の駅になります。2007年、当時の天皇皇后両陛下が全国豊かな海づくり大会で滋賀県を訪れた際、三井寺力餅をお茶菓子として召し上がっています。三井寺力餅を気に入られてお土産としても持ち帰られました。

1810年創業の本家力軒は滋賀県大津市園城寺町の三井寺境内にあります。こちらも持ち帰り用の販売のほか、店内でも味わうことができます。三井寺境内にあるので、情緒ある雰囲気の中、春は桜を、秋は紅葉を楽しみながらお茶とともに三井寺力餅を味わえます。本家力軒は、大津市の和菓子製造会社である叶匠寿庵に協力を受けて2018年にリニューアルしました。味はそのままに、お土産として持ち帰りやすいように改良され、消費期限が若干長くなりました。

三井寺力餅は求肥餅を柔らかい状態で味わってほしい和菓子なので、保存料を使っておらず、消費期限が短いです。そのため2軒とも基本的に通信販売はやっていません。三井寺力餅はまさに滋賀県を訪れないと楽しめない土産菓子なのです。

きな粉の緑色が特徴的な三井寺力餅は、武蔵坊弁慶ゆかりの滋賀県の土産菓子

三井寺力餅は滋賀県を訪れないと味わえない土産菓子です。優しい甘みのある緑色のきな粉をたっぷりまぶし、柔らかい求肥餅を食べながら、この和菓子の由来となった武蔵坊弁慶の逸話に思いをはせてみるのもいいですね。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 滋賀県の土産菓子「三井寺力餅」。たっぷりとかけられた、きな粉の色は?

A.緑

Q. 滋賀県の銘菓「三井寺力餅」の特徴で、当てはまらないのは?

A.通販で買える