「近江牛」に名を残す「近江」は現在のどこの都道府県に相当する?

近江牛は長い間、肉用牛として飼育されてきた歴史ある和牛です。また、松坂牛や神戸牛と並び、日本3大和牛と呼ばれるほど評判の高いブランド肉です。今回は、そんな近江牛の特徴や歴史を紹介します。

近江牛の歴史

近江牛の名の一部である近江は現在の滋賀県を指す名称で、かつては近江国とも呼ばれていました。肉用牛としての歴史は400年以上あり、日本の肉用牛のなかでは最も古いといわれています。食用の牛肉として振舞われた記録のなかで、最も古いのは1590年秀吉の小田原攻めのときです。戦国武将であったが蒲生氏郷と細川忠興に、高山右近が近江牛を振る舞ったという忠実が残っています。その後、近江の技術者はほかの地域の畜産の発展に協力し、松坂牛や会津牛の礎を築いたといわれます。

江戸時代に入ると、幕府のお達しにより牛肉を食することが禁じられました。これは仏教の教えに沿ったもので、労働力ともなる牛や馬を食することは許されなくなってしまったのです。禁止令が出されていた牛肉ですが、全く取り扱われなくなったというわけではありません。牛肉は栄養価が高いことなどから、薬の名目で幕府に献上されることがありました。なかでも近江牛は将軍をはじめ各地の大名にも贈られ、美味しいと評判を得ていたのです。

近江牛は桜田門外の変を引き起こすほど美味しかった?

牛肉の取り扱いが禁止されていた江戸時代ですが、井伊直弼が藩主を務めていた彦根藩だけは例外でした。彦根藩は牛から皮や肉をとることが認められており、牛皮は幕府に納めるための品として扱われていました。牛皮をとる際に残った牛肉は、牛皮とともに干し肉や味噌漬けにして幕府に贈られます。献上されるのを楽しみにしていた大名がいるほど評判の良かった近江牛でしたが、井伊直弼が藩主となってからは献上が中止されてしまいます。

井伊直弼が牛肉の献上を中止した理由として、彼が仏教を熱心に信仰していたことがあげられます。仏教では食肉として牛を食べることは禁じられているため、直弼もその教えに従い牛の殺傷を禁止しました。近江牛が献上されないことを不満に思った水戸藩主の徳川斉昭は、直弼に対し何度も催促します。ですが直弼はその要求を、あざ笑うかのような態度で何度も断りました。主君に対する直弼の態度をよく思わなかった水戸浪士たちは、怒りの末直弼を襲撃したといわれています。桜田門外の変といわれるこの騒動ですが、当時水戸藩のなかにはこの事件を御牛騒動と呼ぶ人もいたそうです。

近江牛の特徴や味

近江牛は松坂牛や神戸牛と並び、日本3大和牛と呼ばれるほど評判の高い滋賀県のブランド和牛です。近江牛の特徴は、きめ細かい肉質や甘い脂、口の中で溶けだすほどの美味しさだといわれています。霜降りの度合いも高いため、脂が溶ける温度が低く口の中でとろけて胃もたれすることも少ない牛肉です。そんな近江牛はそのままの味を楽しむために、ステーキや焼き肉、しゃぶしゃぶにして味わうのが最適だともいわれています。

また滋賀県の近江牛は、ほかの日本3大和牛と比較してもリーズナブルなのが特徴の1つです。理由は松坂牛や神戸牛と比べ、あまり宣伝されていないことにあります。宣伝がうまい松坂牛や神戸牛は人気があり、値段もそれだけ高く設定されています。ですが目立つのが苦手な滋賀県民の性格なのか近江牛は宣伝が少なく、味はほかと変わらないものの値段はリーズナブルです。有名なシェフや名店と呼ばれるレストランでは、近江牛が選ばれることも多いといわれます。

滋賀県のブランド和牛「近江牛」は江戸時代から好評だった

現在の滋賀県近江で生まれた近江牛は、献上を禁止した井伊直弼が恨まれるほど江戸時代から評判を得ている和牛ブランドです。ほかの3大和牛より値段もリーズナブルなので、滋賀県を訪れた際は一度食べてみるのもいいかもしれませんね。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 「近江牛」に名を残す「近江」は現在のどこの都道府県に相当する?

A.滋賀

Q. 俗説によると「桜田門外の変」は牛肉の献上を断った井伊直弼を恨んで起きたとされていますが、この牛肉とは?

A.近江牛

Q. 史実として、日本での肉用牛としての歴史が最も長い牛は?

A.近江牛

Q. 次のうち、日本三大和牛に含まれないのは?

A.飛騨牛