滋賀県の近江八幡市周辺で名物となっているコンニャクとは?

滋賀県の近江八幡市周辺で名物となっているコンニャクをご存じですか?非常に特徴のある色をしているので、初めて見た人は「これは何?」と思うようなコンニャクなのです。なぜそんな色になったのでしょうか?

赤コンニャクは近江八幡の名物

滋賀県の近江八幡に行くと、スーパーや飲食店などで赤コンニャクを見ることがあります。また旅館等の食事でも登場する名物食材なのですが、コンニャクといえばグレーや黒っぽい色、または白い色のイメージしかない人たちにとっては、「え?これがコンニャク?」と目を疑ってしまいます。トウガラシが入っているので赤いのかと思われますが、トウガラシ入りとして市販されているコンニャクとは全く異なり、レンガのような色で、食べてみると「コンニャク」なのです。トウガラシが入っているわけでもありません。

そして「赤」の正体は「三二酸化鉄」という食品添加物で、それによって染められているのです。コンニャクは食物繊維とカルシウムが豊富に含まれていますが、三二酸化鉄によってさらに鉄分の補給にも役立つので、通常のグレーや黒っぽいコンニャクよりも栄養が豊富といえるでしょう。滋賀県ではこの赤コンニャクの方がよく使われていて、醤油と砂糖で煮つけにしたり、おでんに入れたり海藻と共にサラダにするなどして食されています。

赤コンニャクは近江八幡市が発祥の食べ物ですが、滋賀県全体でよく食されているので、琵琶湖周辺や滋賀県の観光地に遊びに行ったときなど、飲食店や旅館などの食事で味わうことができます。また滋賀県のスーパーや土産店でも購入できます。創業100年以上の赤コンニャクの老舗もあります。もともとはあまり全国には知られていなかった赤コンニャクですが、テレビで紹介されて以来は広く知られることになり、現在では通販でも購入することができます。

なぜ赤いコンニャクなのか?

近江八幡のコンニャクは、食べれば普通のコンニャクなのに、なぜ赤く染められているのでしょう。近江八幡には「左義長まつり」といって、若者が女装して山車を担ぐという少し変わった祭りがあります。安土桃山時代には安土城の当主、織田信長も赤い長襦袢を着て女装して踊り、祭りを盛り上げたといわれています。そんな派手好きの織田信長がコンニャクを赤く染めるように命じたから赤コンニャクができたという説があります。

また、安土城は廃城となったのですが、八幡城の下に城下町が開けてきたことで、安土城下から移住する人が増え、左義長祭りの伝統も城下町にまで広がり、祭りの赤いチラシを見た近江商人が赤いコンニャクを思いついたという説もあります。

近江八幡とその周辺について

近江八幡は滋賀県の中部にあり、琵琶湖の東側に位置する市です。近江八幡市は豊臣秀吉の養子の豊臣秀次が八幡城とその周辺の城下町として築かれた町で、近江商人の発祥地であり、商業都市として発展してきた街です。現在でも市内の一部の通りは「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、時代劇のロケ地として使われることもあります。木造建築の家や店が立ち並ぶ風情の残る町並みは、レトロな気分を味わうのに最適なエリアです。八幡山を取り囲んだ4750mの堀は八幡堀といわれ、豊臣秀次が琵琶湖と堀をつないで人や物、情報などの収集を行って城下町を活気づかせたといわれています。

また1877年に八幡東学校を復元した、「白雲館観光案内所」という西洋風の建物があります。1階は案内書で2階がギャラリーとなっていて、お土産ものもあり、観光の拠点となるところなので、立ち寄ってみると良いでしょう。

滋賀県に行ったら赤コンニャクを食べてみよう

織田信長が命じて赤くなったといわれる赤コンニャクは近江八幡市をはじめ滋賀県の名産です。レトロな街並みを味わえる近江八幡市や、琵琶湖周辺に遊びに行ったら、想像を超えるような赤い色をしたコンニャクを食べてみましょう。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 滋賀県の近江八幡市周辺で名物となっているコンニャクは?

A.赤コンニャク