奈良県では今でも食べることのできる、古代の日本人が食べていた「蘇(そ)」。今でいうところの何に似た食べ物?

奈良には遥か昔、万葉の時代に初めて奈良で作られ、当時は大変貴重だった『蘇』という食べ物があります。現在、再現されて我々も手ごろな価格で食べられるようになった、この食べ物についてご紹介しましょう。

日本で最初に作られたチーズ

『蘇』は古代のチーズと表現されることもある、牛乳から作られた食べ物です。しかしチーズのように発酵はしておらず、牛乳を特殊な方法でゆっくりと煮詰めて作ります。

『蘇』が最初に作られたのは文武天皇の時代。典薬寮(てんやくりょう:医療・調薬を担当する部署)の乳牛院という機関が生産しており、薬や神様に捧げる供物としても使われていました。シルクロードを通り、中央アジアからもたらされた牛乳は飲みものと言うより、薬餌として使われていたようです。当時の飛鳥には、多くの異国人が居住しており『蘇』の加工方法も伝えられたとされています。

『蘇』を作るのには、牛乳を何時間もかけて焦げないよう煮詰めたりと非常に手間がかかり、わずかな量しか生産できないため、貴族や高級官人など限られた人々しか口にすることができませんでした。高貴な人々が病気になって床に臥すと、薬草とともに『蘇』の効力にも頼ったようです。『蘇』は最高級食材であり、それと同時に美容や不老長寿の効果も期待されていたものでした。

『蘇』ができるまで

『蘇』というのは、元々インドの仏教の大乗経典の中に、五味として順に「乳→酪→生酥(しょうそ)→熟酥(じゅくそ)→醍醐」と精製されるというくだりの『酥(そ)』から取られています。遠くシルクロードを通って、日本に伝えられた時点で『酥』ではなく『蘇』と呼ばれることになったようです。ただ、作り方はインドのものとは違います。

飛鳥時代の『蘇』の作り方が記載された文献などは見つかっておりませんが、手がかりとなる文献や資料などから、1987年に奈良国立文化財研究所の飛鳥資料館にて再現されました。その後、奈良県の酪農業者が製造販売を始め、私たちも食べられるこになったのです。

『蘇』は全乳の牛乳を加熱しながら練り、長い間煮詰めていきます。約30リットルの牛乳をおよそ7時間ものあいだ煮詰め、ようやく約4キロの『蘇』ができるのです。最初は純白の牛乳も数時間加熱していくうちに、徐々に薄く茶色に変化していき、最終的にはキャラメル色になって、ネバネバとしてきます。それを木箱に流し込んで、冷蔵庫で冷やし固めると完成です。できあがったものは、ほんのりと甘みがあり香ばしい香りが口に広がります。しっとりとしたケーキかクッキーのような歯ざわりで、素朴な味わいです。

平安時代の最高権力者も食べた『蘇』

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
(この世は自分のためにあるようなものだ 満月のように何も足りないものはない)

この和歌を詠んだのは、三人の娘を天皇に嫁がせ、絶大な権勢を誇った藤原道長です。道長は『蘇』に蜜を合わせたとされる『蘇蜜煎』を食べたという記録があります。また、大臣などに新任されたとき催されるお祝いを大饗(だいきょう)と言い、『蘇』と甘栗と合わせた『蘇甘栗』というお菓子が宮中から届けられます。道長は寛仁元年(1017)、太政大臣の位についた際の大饗でこの『蘇甘栗』を賜っています。

『蘇』を作ってみよう

『蘇』を作るのには時間と根気が必要ですが、作り方はとっても簡単。フライパンに牛乳を注ぎ入れ中火で牛乳が沸騰するまで温め、あとはひたすら混ぜる続けるだけ。次第に固まってクッキー生地のようになり一つにまとまったら、粗熱を取ってラップで包んで冷蔵庫で冷やします。砂糖も何も入れていないのに、ほのかな甘みが感じられるお手製の『蘇』の完成です。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 奈良県では今でも食べることのできる、古代の日本人が食べていた「蘇(そ)」。今でいうところの何に似た食べ物?

A. チーズ