鎌倉時代の歌人の名にちなむ、神奈川県の銘菓とは?

神奈川県の大磯町には、鎌倉時代の歌人にちなんだ銘菓があります。古典の授業で名前を耳にした人も多いかもしれません。その歌人とおまんじゅうには、どんなゆかりがあるのでしょうか。

名歌と銘菓

西行まんじゅうは、神奈川県大磯町の老舗「新杵菓子舗(以下、新杵)」の銘菓です。温泉まんじゅうのような蒸しまんじゅうではなく焼きまんじゅうで、外側の生地は綺麗な小麦色に焼き上げられていて、素朴にして品のある丸いフォルムに「西行」という二文字が焼印されています。黒糖も入っているという生地ですが、目立つような甘さではなく中の餡子とマッチしています。ほどよい甘さの餡子はなめらかで、生地と餡子の間には隙間が無くハーモニーを楽しめます。見た目が素朴ですので、地元の子供からは「地味なおまんじゅう」という扱いを受けることもあるようですが、地味とあなどっていた子供も、大人になってからそのおいしさを見直すという人気のおまんじゅうです。

この神奈川県大磯町の銘菓に鎌倉時代の歌人である「西行」の名前が付けられているのは、西行が大磯町に立ち寄って歌を読んだと言われていることが由来です。西行は大磯の海岸のあたりで「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」と詠んだとされています。出家をしていた西行は自分のことを感情を捨てた身の上と表現しています。そのような状態の自分でも夕暮れの小川で鴫の飛び立つさまを見て心が動かされたという、「もののあはれ」の情趣を感じられる名歌です。

そして西行が歌を詠んでから数百年後の時が過ぎて、江戸時代初期(1664年)に小田原の商人とされる崇雪という人物が大磯を訪れます。崇雪は西行の歌にちなんで、大磯の中でも昔の面影の残る沢に「鴫立沢」の標石を建てて草庵を結びました。ちなみに、その碑の裏には大磯の景色の美しさを礼賛する文言が刻まれているのですが、大磯は中国の景勝地である湘江の南部になぞらえて「相模国の南部」つまり「相南」と表現されています。「湘南」という言葉の始まりには諸説ありますが、この碑が発祥ともいわれています。

こうしてその地は「鴫立沢」と呼ばれるようになり、今でも史跡として大磯町の観光名所のひとつとなっています。鴫立沢は、西行まんじゅうを売っている「新杵」から徒歩3分くらいですので、おまんじゅうを買うついでに立ち寄ってみるのもいいかもしれません。

島崎藤村や吉田茂にも愛された老舗、新杵

新杵は1891(明治24年)創業の和菓子屋で、JR大磯駅から海側に徒歩10分ほど歩いたところにあります。老舗らしい歴史を感じる店構えで、建物の梁や柱は小田原城解体の際に出た木材を使っているそうです。

新杵には、文豪の島崎藤村や、政治家の吉田茂も通っていました。大磯はのんびりとした静かな町ですが、日本初の海水浴場が開かれた地として、かつては多くの政界人や財界人が別荘や邸宅を構えていたのです。その隆盛ぶりは「政界の奥座敷」と呼ばれたほどでしたが、1923(大正12年)の関東大震災で建物の多くは倒壊し、その後の財閥解体の影響もあり別荘や邸宅は復旧されることなく、大磯はすっかり様変わりしました。

それでもいくつかの建物は残っていて、「旧吉田茂邸」や「旧島崎藤村邸」は今でも見学することもできます。新杵から8分ほど西へ行くと「旧島崎藤村邸」で、そこから30分ほど歩くと「旧吉田茂邸」です。新杵の和菓子を愛していたという両名の邸宅はどちらも新杵から近く、ごひいきにしていたことがうかがえますね。

やっぱり、西行まんじゅう

神奈川県には、横浜や鎌倉、箱根など人気の観光地がいくつもありますが、湘南の発祥とも言われる地で、偉人の愛したお菓子を味わうのもよいのではないでしょうか。時を越えて過去の人物と同じお菓子を食べられるのは、老舗の商品ならではの醍醐味ですね。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 鎌倉時代の歌人の名にちなむ、神奈川県の銘菓は?

A.西行まんじゅう