石川県では佃煮にされる、漢字では「鮴」と書く魚とは?

石川県では地元食材の佃煮が何種類か作られており、その内、鮴の佃煮はお土産の定番品になっています。 鮴という名前はあまりメジャーではありませんが、どのような魚なのでしょうか。ここでは魚と共に、佃煮の歴史などを紹介していきます。

鮴はハゼの総称

実は、 鮴(ゴリ)と呼ばれる魚には様々な種類があります。ハゼの仲間となるチチブ属やウキゴリ属、ヨシノボリ属などをまとめてゴリと呼んでいる地域が多いです。共通している特徴は、体長が20センチ以下と小型で、細めの体に大きなヒレや尾が付き、頭と目が大きめであることと、普段は石や岩の陰に潜んで過ごす底生性の魚であることです。体の色は茶色や灰色などの目立たない色をしていますが、産卵期になるとカラフルな婚姻色に変わります。

石川県で作られるゴリの佃煮は、ハゼ科の淡水魚を原料にすることが多いです。魚の大きさは特に決まっておらず、稚魚を使った佃煮を「赤ちゃんゴリ」、中くらいの魚を使ったものを「若ゴリ」、大きめの魚を使ったものを「大ゴリ」と呼ぶこともあります。魚を丸ごと食べられるため栄養満点、なおかつ保存も利くので、冷蔵庫に常備したい一品です。

ゴリの佃煮は、家庭でも作ることができます。好きな種類のゴリを買ってきたら、体のぬめりを取るために塩水の中で洗います。鍋に醤油とみりん、料理酒を各50cc入れて煮立たせ、洗ったゴリを投入し、一煮立ちさせます。そして時々かき混ぜながら煮汁が減るまで弱火で煮て、ゴリに照りが出てきた後水あめを大さじ4入れ、さらに艶が出るまで煮詰めて完成です。甘いのが苦手な人は、水あめで味を調整しましょう。ただし、甘さを減らした分保存期間が短くなるので、注意してください。

佃煮は、江戸時代に漁民によって考えられた料理だと伝えられています。漁民は城中や諸家に白魚を納めるために漁を行ったり、市内で商売をしたりして生活していましたが、その内、余った小魚を醤油などで煮て食べるようになりました。それが次第に時化などで漁に出られないときなどの保存食として定着していきます。さらに、商品として店先で販売されるようになり、地域の人へも広まっていきました。特に、沢山の使用人を雇っている大商店などで重宝されたと言われています。漁民らはかつて佃村と呼ばれていた現・大阪府西淀区佃町の町民でしたが、江戸幕府に命じられて江戸に移住してきました。まもなくその土地が佃島と呼ばれるようになったため、料理名が佃煮となったのです。

その佃煮が加賀藩だった石川県に伝わったのは、武家諸法度制定後に制度化された参勤交代によって、約2000人の大名行列が加賀藩を往復したのがきっかけでした。交通整備や宿場の整備が進んだ影響で、佃煮を含めた江戸文化は全国に広まっていきました。石川県では佃島から伝わった小魚の佃煮はもちろん、地元で獲れたゴリやくるみを使った佃煮が考案され、現代に伝わっています。当時は犀川、浅野川などの市内を流れる川や近郊にある河北潟でゴリが沢山釣れましたが、現代では減少している様子です。

石川県金沢市下新町に本店を構える「佃食品」では、ゴリの佃煮を手作りして販売しています。金沢伝統の味を守りながら、保存料や化学調味料などの添加物を入れずに製造しています。また、金沢市横枕町にある「金沢錦」という惣菜店でも、季節によってはゴリの佃煮を購入することが可能です。佃煮は味付けの濃いものであれば、開封後でも冷蔵庫保存で30~40日持つことが多いです。ただし、口に入れた箸を付けると雑菌が繁殖して傷む可能性があるので注意してください。食べる分だけ小皿に取って食べましょう。

石川県独自の佃煮をぜひ現地で入手して!

江戸からの大名行列がきっかけで佃煮が伝わりましたが、当時県内に流れる川で獲れたゴリを使って佃煮を作るようになったのは、石川県が最初です。石川県を訪れた際は、ぜひ紹介した佃煮店や惣菜店でゴリの佃煮を買って食べてみてください。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 石川県では佃煮にされる、漢字では「鮴」と書く魚は?

A.ゴリ