「笹団子」は新潟県の名物ですが、「笹子餅」はどこの都道府県の名物?

笹子餅は、ある県の名産品として信玄餅と並び称せられ、長く庶民に愛されてきた和菓子です。笹子餅は甲州街道の難所と言われた笹子峠と深い関係があります。笹子餅の販売に至る経緯と笹子という街の特色について紹介しましょう。

笹子餅の歴史と特徴について

山梨県の大月名物である笹子餅は、緑色の生地の表面に白い粉が振られており中には粒餡が入っている楕円形の草餅です。笹子餅の表に「矢立ての杉」という木の絵が描かれていることが特徴となっています。笹子餅に過剰な保存料や添加物は入っていないため、賞味期限は短く販売日の翌日までしか食べられないので注意しましょう。笹子餅の生地に練りこまれたヨモギの香りの高さとまろやかな甘さが旅の疲れを癒し、笹子を通過する旅人に長く愛されてきました。

笹子峠はトンネルが開通されるまで箱根峠と双璧を成す甲州街道随一の難所でした。笹子峠を越える長い徒歩の旅に疲れ果てた旅人の疲労回復のために、笹子峠の「矢立の杉」の脇の茶屋で売られていた「峠の力餅」が笹子餅のルーツです。茶屋の痕跡は現代も「矢立の杉」の脇に残されています。明治36年に中央線が開通し大月と甲州をつなぐ笹子トンネルを使用するようになると、日本一長いトンネル内で蒸気機関車の煤煙に10分以上悩まされた旅客を癒すために、日本橋栄太楼という名店から和菓子職人を招き、ひなびた力餅の風味を生かしつつ工夫を重ねて創り上げたのが笹子餅なのです。

笹子餅は明治38年に笹子駅構内のホームで販売が開始されました。その後笹子駅の利用者が減って、笹子駅構内での笹子餅販売は中止となってしまいます。しかし、「あずさ」や「かいじ」という中央線特急車両では車内販売が行われ、笹子駅前の本店「笹子餅本舗みどりや」・笹一酒遊館・峠の茶屋「ささご」では販売が続いており、山梨県大月市の名産品として長く人々に愛されています。また甲府駅ビルのお土産コーナーや大月駅前のキヨスクと「はまのや」でも購入できます。さらに中央高速道路の境川・釈迦堂・初狩などのサービスエリアでも笹子餅を売っています。その独特の風味とまろやかな舌触りの良さが公式に認められ、全国菓子大博覧会金賞と菓子産業展通産大臣賞を受賞しました。

笹子周辺の地域情報

笹子のある大月市は山間部の小さな街ですが、江戸時代に甲州街道の宿場町として栄えていました。今も大月市内にある甲州街道沿いの平屋の家屋は宿場町の面影を残す造りになっています。甲州街道の笹子トンネルは古く狭いうえ暗いトンネルで、自動車だけでなく自転車や歩行者も通行を許されているので、走行には注意しなければなりません。笹子トンネルの大月側が笹子の街になります。笹子の地名の由来は、大月の上空を悠々と飛翔する鶯の雛を笹子と読んだことと言われています。

笹子餅の原型となった力餅を作っていた笹子峠の茶屋は、「矢立ての杉」の脇にありました。源頼朝など笹子峠を越えて戦場に向かう武士が、この杉の巨木に矢を放って必勝祈願をしたことを「矢立て」という名前の由来としています。「矢立ての杉」は江戸時代には甲州街道の名所となり、十返舎一九の「金草鞋」や葛飾北斎の「北斎漫画七編甲州矢立の杉」の浮世絵に描かれました。また、2代目歌川広重の「諸国名所百景甲州矢立の杉」にも「矢立ての杉」は登場します。

笹子餅に「矢立ての杉」の絵が描かれているのは、笹子と「矢立ての杉」の深い縁を示しているのです。山梨のアンテナショップとしては、東京日本橋に「ふじの国やまなし館」があり、「信玄餅」や「月の雫」など地元の名産品や伝統工芸品の販売を行っています。レストランも併設されており、地場産のワインや甲州富士桜ポークなどを使った食材で作られた料理を楽しめます。

中央線に乗ったり甲州街道を走ったりして山梨県に寄ったら名物の笹子餅を食べてみましょう。

草餅は歴史が古く全国各地で作られていますが、それぞれ蓬の含有量や餡の質など千差万別で味わいも異なります。山梨県の名物である笹子餅も、独特の風味がファンを飽きさせず長く愛されています。和菓子ファンでなくとも一度食べてみることをお勧めします。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 「笹団子」は新潟県の名物ですが、「笹子餅」はどこの都道府県の名物?

A.山梨県