山口県岩国市で食べられている「岩国寿司」の別名は?

山口県岩国市で食べられている伝統料理「岩国寿司」は何という別名で呼ばれているかご存じですか?

「岩国寿司」は「殿様寿司」とも呼ばれる伝統料理!

歴史、文化、そして自然に恵まれた情緒豊かな彩りの街、山口県岩国市。
この岩国市では昔から伝統料理「岩国寿司」が食べられてきました。美しく四角く切り分けられたちらし寿司のような押し寿司の「岩国寿司」。キラキラに輝く錦糸玉子や彩り豊かなでんぶ、地場産のレンコンや春菊、シイタケが敷き詰められており、切り分けた後には近海で取れた新鮮な魚やエビなどものせられて、なんとも鮮やかで目も舌も喜ぶ一品です。
吉川藩6万石として栄えた城下町らしく、華やかで上品な彩りと綺麗に整えられた真四角の形が特徴の「岩国寿司」は、「殿様寿司」とも呼ばれており、江戸時代、岩国の藩主・吉川公に献上し喜ばれたという言い伝えが由来とされています。

色鮮やかな「岩国寿司」の始まりは、戦の保存食だった?!

色鮮やかで見目麗しい「岩国寿司」は、大きな木枠を使って一気に大人数分を作っていきます。一度に50~60人分を作ることもできる「岩国寿司」、使用する木枠は大きくて60cm四方のものもあるそうです。
酢飯と具材を4段ほどに厚く重ね、最後は木枠に蓋をして、重石でしばらく押し固めます。昔はこの工程で蓋の上に人が乗り、踏んで固めていたという特徴があり、今でもそうして作られることもあるようです。木枠を外したら四角く整えて切り分け配膳されます。
しっかりと押し固められた押し寿司ですが、箸を通してみれば、ほろほろと程よく崩れて食べやすいのだそう。
この「岩国寿司」の始まりには諸説ありますが、そのひとつに、初代藩主の吉川広家が合戦に備えて作らせた保存食だったという説があります。山城であった岩国城は、水が確保できないことや山の上まで持ち運びやすいことなどから岩国城の戦の保存食として献上されていたそうです。
やがて城下の人々にも広まり、今でも地域の人たちからは祝いの席で出す料理として大切に伝えられてきました。
また、同じく初代吉川公が建立したとされる椎尾八幡宮の神幸祭の際に、「火の用心として、祭り当日の太陽が出ている間は煙を出してはいけない」と藩からのお触れがあったため、保存できる押し寿司を作ったのが始まりという説もあります。

「岩国寿司」は地元の人からは「角寿司」とも呼ばれている?!

合戦に備えて作らせた保存食だった「殿様寿司」がやがて町の人たちに広まり「角寿司」と呼ばれ親しまれてきました。現在も地元の人たちは「角寿司」とも呼んでいるそうです。実はこれが地域と同じ名前「岩国寿司」と言われだしたのは、昭和も60年を過ぎてからなのだそう。
その頃、各地で地元の郷土料理を残していこうという働きが多くあり、岩国ではこの「角寿司」が選ばれました。その時に「岩国寿司」という名前に統一したそうで、まだ正式名称になってからは30年ほどだとのことです。
ちなみに広島県にも島根県にも「角寿司」と呼ばれる押し寿司がありますが、いずれも作り方が若干異なるとのことで、やはり名前を「岩国寿司」としたことで、地域で愛されてきた「岩国」の「角寿司」がより後世に伝わりやすくなりました。
現在では市の協議会によって昔の文献や各地域での作り方などの調査を進め、保存していく郷土料理として調整されました。酸っぱさ控えめで甘すぎずの優しい味わいが昔ながらの岩国の味として残されたようです。

「岩国寿司」に「岩国レンコン」は欠かせない!!

そしてこの「岩国寿司」には特産品「岩国レンコン」をたっぷり使うことが大切なポイントなのです。これはレンコン収穫量上位である山口県の中でも1番の産地となっている岩国市ならではのこだわり。「岩国レンコン」は、シャキシャキとした歯ざわりと糸を引くほどの粘りの良さが特徴で、そして穴の数がポイントなのです。
元々「先を見通す」として縁起物のレンコン。通常のレンコンは6つ穴であるのに対して「岩国レンコン」の穴は9つ。藩主・吉川公の家紋「九曜紋」に似ていて、この縁起の良さから献上の際に大変喜ばれたということです。

地元の人々の晴れの日の味「岩国寿司」!

かつて冠婚葬祭をそれぞれの家で行っていた時代には、近所や親戚一同で「岩国寿司」をみんなで作り、みんなで食べていたのだそうです。
結婚式では「岩国寿司」をケーキに見立て、花婿花嫁が入刀すれば来客も盛り上がるという時代もあったそうで、岩国の人々の和やかさが微笑ましいエピソードです。作る時も食べる時もワイワイと楽しい時間が「岩国寿司」を取り囲んでいたのでしょう。「岩国寿司」はこの土地のお祝い事や晴れの日の思い出とともに歩んできた味でもあるのです。

ザ・ご当地検定の問題

Q.山口県岩国市で食べられている「岩国寿司」の別名は?

A.殿様寿司