明治時代に上野の漬物店『山田屋』が初めて売り出したとされる、カレーの付け合わせとしてよく使われる漬物は?

カレーライスを食べるときに添えられている漬物。東京都上野の漬物屋「山田屋」が元祖だとされています。その歴史は古く、明治10年頃に発売されました。発明までの苦労や名づけの由来、カレーとの出会いなど、紹介します。

いつ、どうやって発明されたの?

福神漬けの歴史は古く、明治時代までさかのぼります。同時、漬物といえば「塩漬け」しかありませんでした。東京都上野に店をかまえていた「山田屋」の野田清右衛門は、新しく「醤油漬け」のお漬物をつくろうと、日夜奮闘していました。寝る間を惜しんで、満足のいくものを完成させるのに、10年もの歳月を費やしたというのですから、彼の執念はものすごいものです。

「醤油漬け」の原料なる野菜は、大根、なす、かぶ、うり、しそ、れんこん、なたまめの7種類。上野近郊でとれた、いい野菜だけを選び、さらにその中でも、本当にいいものだけを選び抜きました。醤油漬けの要となる醤油は、特別につくらせた3種類を使用しました。こだわりの食材でつくった「醤油漬け」のおいしさは、瞬く間に庶民の間で人気となりました。

この醤油漬けを「福神漬け」と名付けたのは、流行作家「梅亭金鵞(ばいていきんが)」だといわれています。上野の不忍池には、七福神の一人、弁天様がいるとされています。ここからヒントをえて「福神漬け」と名付けたそうです。また、「福神漬け」はおいしいので、おかずがいらない。食費がおさえられてお金がたまる。神様も一緒に漬けているから「福神漬け」と名付けられたという説もあります。どちらも、おいしい福神漬けから生まれた、楽しいエピソードです。

野田清右衛門は、海苔の佃煮も発案したといわれています。現在でも親しまれているご飯のともを、2つも発案するとは、彼の業績は素晴らしいものです。東京日暮里にある浄光寺には、「福神漬け発明者を表彰する碑」があります。このお寺には徳川家光の「御腰掛石」もあり、福神漬けが多くの人に親しまれ、大切にされてきたのが、よくわかります。

福神漬けがカレーと出会ったのはいつ?

福神漬けといえば、カレー。なぜカレーと福神漬けがセットになったのでしょうか。

福神漬けがカレーと出会ったのは、明治35年ごろ、ヨーロッパ航路を進む、日本郵船の船内の食堂だったといわれています。もともと、インドや東南アジアでは、カレーのお供は「チャツネ」でした。チャツネとは、野菜や果物に香辛料を加え、煮込んだり漬けたりした調味料で、インド料理には欠かせないアイテムの一つです。当時は一等船室のみ「福神漬け」がそえられ、二等船室と三等船室は「たくわん」だったそうです。どちらも甘じょっぱい、カリコリとした歯ごたえが、カレーとよくあったのではないでしょうか。福神漬けの赤い色は、チャツネの赤い色をまねて、生まれたそうです。

元祖「福神漬け発祥の地」である上野。歴史ある山田屋は「酒悦」という名前で上野に店舗をかまえています。名づけのヒントとなった弁天様がまつられている「不忍池辨天堂」は上野公園内にあります。お天気のいいときは不忍池でボートを楽しむこともできます。

また、上野公園はパンダのシャンシャンで話題になった「上野動物園」もあります。2017年6月12日に誕生したシャンシャン。愛くるしい姿に、多くの人が、くぎ付けになったことでしょう。このシャンシャンは、ずっと日本にいるわけではありません。パンダの所有権は中国にあるとされ、2020年12月31日に中国に返還することが決まりました。期間限定のシャンシャン。これは会いに行くしかありません。

東京都で生まれた元祖福神漬け。そこには山田屋の歴史がありました。

当たり前のように、カレーには福神漬け。東京都に、こんなに奥深い歴史がありました。山田屋が元祖福神漬けを生み出したおかげで、日本郵船の船内コックのおかげで、日本のカレーには福神漬けが当たり前になりました。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 明治時代に上野の漬物店『山田屋』が初めて売り出したとされる、カレーの付け合わせとしてよく使われる漬物は?

A.福神漬け