「深大寺そば」はどこの都道府県のそば?

「深大寺そば」というご当地グルメを紹介します。深大寺は奈良時代の733年に創建された古刹で、長い歴史を誇っています。名物は白い色が特徴の深大寺そば。どんなおそばなんでしょうか。

歴史は古い深大寺そば

江戸時代の文献には日本一の蕎麦との記載がある深大寺そば。歴史を紐解くと、その由来には諸説あります。
深大寺周辺の土壌の特徴は、黒ボク土というソバの栽培に適した土地で、さらに湧水も多くさらし水や製粉にも向き、ソバ作りが発展しました。享保の改革のころには、ソバの栽培が奨励されました。さらに栽培が盛んになりました。近隣農家は深大寺へソバを納めました。寺坊がそれを利用した蕎麦切りを参詣者に提供したところ評判が広がったのが始めとされています。
他にも、徳川家光が鷹狩の折、立ち寄った際に食し、その味を絶賛したとか、上野寛永寺大明院法親王が献上されたそばを食べて賞賛したとの説もありますが真相の程は不明です。

ただ、先に記したとおり江戸時代の中期以降には辺りでは知られており、江戸時代後期の文化文政年間には幕府役人で文化人でもあった太田蜀山人が食してその味を褒めて以来、広く世に知られるようになりました。
時代は下り、戦後の昭和36年。神代植物公園が開園、深大寺植物園の来園者や深大寺参詣者も増え、提供する店舗も増えました。
現在では提供する蕎麦店が20軒以上あり、東京都有数のそば処として名物深大寺そばを支えています。

豊かな水が深大寺そばを育てた

東京有数のそば処、名物深大寺そばの特徴の一つに、武蔵野の湧水を利用していることがります。
深大寺は武蔵野台地の縁、いわゆる国分寺崖線に沿って立地しています。
国分寺崖線は武蔵野台地を多摩川が10万年にわたり削り取って形成された自然堤防と考えられ、高低差は20メートルに近くあります。この国分寺崖線には湧水が多く、世田谷区の等々力渓谷も国分寺崖線の一部です。
武蔵野台地は関東ローム層が数メートルから十数メートルも堆積して形成されています。関東ローム層は富士山や箱根山などの関東周辺の火山噴火により降下した火山噴出物や火山灰で構成されています。関東ローム層は隙間が多く保水力が強い土地です。地下水が多く貯まっており、その水が時間を掛けて、崖地になっている国分寺崖線沿いで地上に表れるため、多数の湧水源があります。

深大寺境内には「東京の名湧水57選」に選定されている「不動の滝」があります。不動の滝以外にも複数の湧水源をあり、豊かな水が門前町の名物誕生に一役かいました。
豊富な湧水は、ソバの栽培にはじまり、ソバを晒す晒し水や釜茹での水、ソバ打ちに水、水車を利用した製粉とソバ作りのあらゆる場面で利用されてきました。豊かな湧水が深大寺そばを育んだといっても過言ではないでしょう。

もともとは深大寺周辺で作られたソバを利用して打たれていた深大寺そばですが、高度成長とともに周辺のソバ畑は急速に姿をけし、宅地開発が進み、住宅街が形成されていきました。
また、東京都立唯一の植物園である神代植物公園開園に伴い、深大寺周辺の農地も都へ譲渡されました。なお、地名は深大寺ですが、公園名は「神代」ですので注意してください。
ソバ畑が無くなってしまったため、深大寺そばも地元の粉を使うことができなくなりました。提供するお店では、長野県や青森県や北海道などからソバを仕入れ、需要にこたえていました。また、店ごとに特徴や質の向上のため、福井県や栃木県といった産地のソバも導入するなど、品質の維持に努めています。

近年、地元のソバを利用できない事に危機感を憶えた人々が、深大寺そば栽培を開始しました。深大寺城跡で、神代植物公園・深大寺そば組合・深大寺小学校が共同で栽培を行ってます。晩夏から初秋の9月中ごろには白い花をつけます。
白といえば、深大寺そばには「白いそば」という特徴があります。深大寺そばは、1番粉と呼ばれる実の中心部分を使用して挽いています。中心部は一番栄養が高く、非常にきれいな白色をしています。そのため深大寺のそばは白い色をしています。

東京都有数のそば処で白が特徴、名物深大寺そばを食べて、湧水の豊かさを知ろう

湧水が豊富で、武蔵野の風情を今に残す深大寺界隈。東京都立神代植物公園や深大寺界隈を散策して、白いおそばが特徴的な名物深大寺そばをする。木々の緑が眩しい初夏の休日、新宿からほんの1時間のぷち旅行はいかがですか。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 「深大寺そば」はどこの都道府県のそば?

A.東京都