一節には広島銘菓「もみじまんじゅう」の名付け親とされている歴史上の人物は?

広島銘菓の「もみじまんじゅう」。一節には歴史上の人物が名付け親とされています。さてそれは一体誰でしょうか?

広島銘菓「もみじまんじゅう」は伊藤博文の冗談から発案された?!

「もみじまんじゅう」は、日本三景のひとつ、広島県の宮島の名産品で、紅葉を形どったお饅頭です。ふっくらと焼かれたカステラ生地の中にはこしあんなどが入っており、温かいお茶との相性も抜群。食べて嬉しい、貰っても嬉しい、大人気のお土産で、宮島の紅葉谷にちなんで売り出されましたが、今や広島県のお土産の代表格ともなっています。
現在のもみじまんじゅうは、こしあん、粒あん、白あんの他にも、クリーム、チョコ、チーズなどの様々なバリエーションがあり、味を食べ比べるのも楽しいお土産となっています。
そんなもみじまんじゅう、実はあの、初代総理大臣・伊藤博文に関係があった、という噂をご存知ですか?
当時からとても有名な噂話なのですが、明治39年、総理の任も終えた元勲・伊藤博文が、かねてより度々好んで訪れていた厳島に立ち寄った際、宿の茶屋で給仕をしていた少女のふっくらとした手を見て「もみじのような可愛らしい手だ。焼いて食べたらさぞ美味しかろう」と冗談を言ったことから着想を得て作られた、というもの。
当時の伊藤博文公は、全国各地に足を運んでは逸話を残していたり、こと女性にちょっかいをかけたりということが多い好々爺であったそうで、この噂話も公式な発言としては記録が残ってはいないものの、もみじまんじゅう発祥とされる店舗や宮島の観光協会が由来として掲げていて、伊藤博文公の親しまれた人の良さと相まって噂として今でも話継がれているようです。

「もみじまんじゅう」が多数のお店から販売されているのはなぜ?!

そんな広島銘菓「もみじまんじゅう」は味の食べ比べはもちろん、複数の菓子店から売り出されていることから、メーカーごとの味の違い、お店ごとの味の違いが楽しめます。
これは、もみじまんじゅうの元祖と言われる明治時代後期の和菓子職人、高津常助が、考案、販売をした後、独占をしなかったことがゆえんとされています。
独占どころか宮島のお土産にするために、販売を推奨していたとのことで、売り出す店が広がり、宮島名物、さらには広島名物にまでなったとのこと。
紅葉谷の入り口にある宿「岩惣」にお菓子を卸す職人だった高津常助は、先程の伊藤博文公の噂話を仲居づてに聞き「もみじまんじゅう」を考案したともいわれています。
職人気質であった高津常助は、老舗「高津堂」の初代として「もみじまんじゅう」を作り上げます。※「高津堂」では「もみぢ饅頭」と表記します。
ところが二代目高津堂は先代の味を再現することができず、一度販売をやめてしまったそうです。先代の「技や味は盗むもの」という教えにより作り方は二代目に伝授されておらず、二代目もまた職人気質であったことから先代の味を再現できないまま販売することはできない、と高津堂のもみじまんじゅうは一度終売していたようです。
孫の代である三代目が50歳を過ぎてから、和菓子職人の協力を得て試行錯誤の上、初代の味を再現し、2009年に見事復活を遂げたそうです。
宮島の和菓子職人たちのまっすぐな気概が、もみじまんじゅうの美味しさの隠し味なのかもしれません。

ギャグで全国区になった「もみじまんじゅう」!!

そんなもみじまんじゅう、昭和50年には山陽新幹線が開通し、新幹線の中や駅の構内などでも販売され広島土産になっていきます。
そして一気に火が付いたのは、当時の人気お笑いコンビB&Bの「もみじまんじゅう!」というギャグ。もみじまんじゅうを知らない人にも、そんな名物が広島にはあるんだ!食べてみたい!と知名度を大きく上げ、広島のお土産のスターダムにのしあがりました。
形も可愛らしく、餡のバラエティーも豊か、食べ比べも楽しいもみじまんじゅうは、今、「揚げもみじ」や「生もみじ」なるものまで販売されているそうです。
まだまだこれからも進化を遂げそうな「もみじまんじゅう」から目が離せません。

ザ・ご当地検定の問題

Q.一節には広島銘菓「もみじまんじゅう」の名付け親とされている歴史上の人物は?

A.伊藤博文