安芸の宮島の土産物として人気の、ある植物をかたどった饅頭は?

安芸の宮島には、日本三景のひとつでもあり、世界文化遺産に指定された「嚴島神社」があります。島全体が聖地とされ、島そのものが自然崇拝の対象であったと考えられていたため、豊かな原生林が残されています。
そんな宮島に訪れたら、お土産に是非買って帰って欲しい物は…。

もみじ饅頭は宮島が発祥

古来より神々の島として崇められており、歴史も古く、史実に残る多くの人が崇敬してきた安芸の宮島。島では伐採が禁じられていたため、今でも豊かな原生林が残されており、季節を感じさせる花・植物も多く、四季ごとに移り変わる花々をお楽しみいただくことができます。宮島にある紅葉谷(もみじだに)は秋になると紅葉が美しく、もみじの名所としても知られております。

もみじ饅頭の起源は、伊藤博文がかかわっていたという説が最も広く流布しているようです。伊藤博文公が紅葉谷を散歩中に立ち寄った茶店で、茶を差し出した美しい娘の手を取り「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」と戯談を言ったのを側で聞いていた女将が、その言葉をヒントに製作を依頼したとも伝えられています。しかしこちらは俗説と言われており、現在では柳井の高津常助氏が、宮島の旅館に茶菓子を納めていた際に、女将から「もみじの葉型」を型取った菓子の製作を依頼されて造ったのが起源であるとされています。

「もみじ饅頭」という名称が一般的ですが、商品によっては土産品として親しみをもたせるために平仮名で「もみじまんじゅう」とも表記する事もあります。もみじ饅頭の元祖である高津堂は「もみぢ饅頭」と、「じ」ではなく「ぢ」で表記しています。

餡も生地も製法も?バリエーション豊か

もみじ饅頭の誕生当初は「こしあん」入りのカステラ生地の焼き饅頭のみでしたが、近年は様々なバリエーション豊かなもみじ饅頭が登場しています。

基本の「こしあん」に、高松宮宣仁親王が厳島を訪問した際に所望され誕生した「つぶあん」各地の銘菓を参考に生まれた「白あん」「抹茶あん」「栗あん」。1984年のもみじ饅頭ブームの際に最初の変わり種として登場した「チーズ」それに続いて「チョコレート」、今では定番の「カスタードクリーム」など沢山の餡の入ったもみじ饅頭があります。

その他、「角切りりんご」や「餅」「芋あん」さらには「タコ」まで入ったご当地の特色を生かしたもみじ饅頭の開発が続けられています。

また、生地も竹炭パウダーを加えた「黒もみじ」や和菓子風の餅生地を使用した「生もみじ」もみじ饅頭を揚げた「揚げもみじ」など各店工夫を凝らし、特徴のあるものになっています。

変わり種を見つけた際には一つ挑戦してみてはどうでしょうか?

もみじ饅頭ブームで有名に

もみじ饅頭が初めて登場したのは、1906年(明治39年)といわれており、当初は「紅葉形焼饅頭」という名称でした。

もみじ饅頭を発案した人物は明治後期、厳島(宮島)の和菓子職人である高津常助とされています。

当時、広島・宮島には抹茶菓子が少なく、老舗旅館「岩惣」の女将・栄子さんが、紅葉谷に因んだ抹茶菓子を作って欲しい。と常助に依頼したのが、もみじ饅頭が誕生するきっかけとなりました。そして1910年(明治43年)に「紅葉形焼饅頭」として商標登録を取得。これが、後に「もみじ饅頭」へと進化するのです。

もみじ饅頭の知名度が上がってきたのは、戦後になってからです。戦後、宮島は人気の観光地なりました。大晦日、正月三が日の初詣、春の花見、夏の管弦祭、秋の紅葉シーズンなどに、大勢の観光客が訪れ、人々がお土産として買っていき、美味しいと口コミで広がり有名になったようです。

地元で人気が出て、知る人ぞ知るお土産となったもみじ饅頭が、全国区になったきっかけは、1980年ごろに起こった漫才ブームです。漫才コンビ「B&B」のネタで「もみじまんじゅう!」というギャグが流行すると、もみじ饅頭の知名度は爆発的に上がり「もみじ饅頭ブーム」になりました。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 安芸の宮島の土産物として人気の、ある植物をかたどった饅頭は?

A. もみじ饅頭