福島県会津では棒たらを使ったものが有名!「飴煮」とも呼ばれる煮物とは?

福島県会津の棒たらを使った煮物を知っていますか?なぜ、会津では棒たらを飴煮にして食べるようになったのでしょうか?会津とはどのような所なのかも合わせてご紹介します。

会津と棒たら

棒たらの飴煮というのは、福島県会津の郷土料理で、甘露煮の事を言います。 福島県会津で棒たらを食べるようになったのは、幕末の頃でした。会津では冬に備えて乾物を保存食としてきました。会津藩の第9代藩主松平容保が京料理である芋棒を持ち帰りました。海老芋と棒たらを炊き合わせたその料理を、松平容保は会津風に作らせた事が棒たらの甘露煮の始まりでした。日持ちしないたらを、1ヶ月以上干して保存食としました。

煮る時には、カチカチとなった棒たらはとても固く、押し切り包丁を使って切り分けます。そして、流水で柔らかくした棒たらを、水と砂糖、醤油や酒で煮込みます。煮ては冷まし、煮ては冷ましを繰り返す事で、棒たらは骨まで柔らかくなります。会津では、この棒たらの飴煮をお正月などの特別な日のご馳走としていただきました。

会津という土地

会津というのはどのような所なのでしょうか。会津は、盆地の為、春がとても遅い地域です。冬の間、毎日のように雪が降り、人々はその厳しい寒さに耐えながら生活していました。そして、夏が訪れると厳しい暑さにも耐え、やがて実りの秋が訪れても、すぐに冬が到来します。人々はその厳しい自然の中を耐え、自分にも他人にも厳しく接してきました。会津の人々の辛抱強さや、一途さは、厳しい環境を生き抜いてきた証なのです。

「ならぬことは、ならぬものです」という言葉は、会津の人々の性格を表しています。会津では昔から、子供達に「 什の掟」を教えていました。そこには、年長者の言う事に背いてはならない事や、年長者にはお辞儀をする事、嘘は言わない事や、弱いものいじめをしてはならないという事などの決まりがあります。そして、ならぬものはならぬという言葉は、その掟を守るようにという言葉なのです。この掟からも、いかに福島県会津市の人々が真面目なのかという事が分かります。

会津の歴史

棒たらの甘露煮を郷土料理とする福島県会津は、日本の歴史の中、まさに激動の時代と共に歩んだ場所でした。会津といえば、やはり白虎隊の存在は忘れる事は出来ません。白虎隊というのは、幕末に会津藩が結成した部隊です。その部隊には、まだ17歳前後の若い武家の男子ばかりでした。会津藩は、新政府軍に対抗すべく白虎隊を結成しましたが、あくまでも予備軍として結成された部隊でした。ですが、戌辰戦争が始まり、会津も次第に戦いの舞台となってきました。

そして、藩主である松平容保は、とうとう白虎隊に出陣の命をくだすのです。新政府軍に対抗するには、あまりにも無謀な事でした。そして、追い詰められた白虎隊が見たのは、若松城の敗北でした。勝ち目がないと悟った白虎隊は、自刃を決意しました。ですが、それはあまりにも早まった行為でした。若松城は籠城中であり、敗北してはいなかったのです。

真面目で一途な会津の人々にとって、義を通す事は大切な事でした。ですが、激動の時代の中の悲劇はあまりにも哀しく、その悲劇はドラマ化もされました。厳しい自然に堪え忍んできた会津の人々にとって、忘れられない歴史です。会津若松駅前には、白虎隊の銅像が建てられています。訪れた時には、教科書などでは学べない、肌で感じる歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

棒たらの甘露煮は、厳しい自然を乗り切る料理

福島県会津で食べられている棒たらの甘露煮が誕生したのは、会津の厳しい自然を乗り切るための生活の知恵でした。貴重な食材を、少しでも長く保存するために考えられた方法です。その美味しさを、ぜひ味わいましょう。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 別名を「飴煮」ともいう、福島県の会津では棒たらを使ったものが有名な煮物といえば?

A.甘露煮