千葉県の安孫子駅にあるそば屋『弥生軒』の名物メニューとは?

とある駅の立ち食いそば屋にある名物メニューが、鉄道ファンのみならず多くの人から人気を集めています。それは千葉県・我孫子駅の弥生軒にあります。いったいどうして駅の立ち食いそばが人気になったのか、その理由を探ってみましょう。

そばの上には目を疑うようなジャンボ唐揚げ!つゆに浸せばまた絶品

千葉県我孫子市にあるJR常磐線・我孫子駅は上野から快速で約35分。周囲は東京のベッドタウンとして発展してきた街です。この我孫子駅のホーム3カ所にあるのが、立ち食いそばの「弥生軒」です。

駅のホームに佇む様は、どこにでもある普通の立ち食いそば屋といったところ。入口にはこういった店ではおなじみの券売機があり、そばやうどんなど様々なメニューのボタンが並んでいます。その中にある名物メニューの「唐揚げそば」は、文字通り唐揚げの乗ったそばです。そばに唐揚げ、というのもちょっと珍しい組み合わせですが、特筆すべきはその唐揚げの大きさでしょう。なんと丼からはみ出さんばかりの巨大な唐揚げが乗っているのです。

唐揚げは1個か2個の好きな方から選べますが、2個を選ぶとほぼそばが見えなくなってしまうくらいの大きさです。ですが、ただ大きいだけでなく味も絶品。和風の味付けなのでそばつゆとの相性は抜群で、中には唐揚げを単品で買ってそばつゆをかけて食べる人もいるほどです。揚げたてのかりっとした食感も良いですが、つゆが染み込んでやわらかくなったところを食べるのもまた良しと一品で二通りの味わいが楽しめます。

放浪の天才画家・山下清が働いていた!戦後には弁当の掛け紙の絵も担当するが…

弥生軒は1928年(昭和3年)創業の老舗で、初めは我孫子駅構内で販売を行う弁当屋でした。そんな弥生軒の歴史の中に、ある一人の有名人が登場します。「放浪の画家」として知られる山下清です。現在の市川市にある施設に預けられていた清は、そこで絵の才能を開花させ穏やかな毎日を送っていましたが、1940年(昭和15年)18歳のときに突如出奔します。理由は2年後に控えた徴兵検査を逃れるためでしたが、この放浪の中で我孫子にたどり着いた清は、弥生軒に住み込みで働くことになります。

当時は戦時中で食糧も不足してきており、「弁当屋なら食うには困らない」というのが弥生軒に入った理由だそうですが、放浪癖のある清はなかなか落ちつきません。半年もすると姿を消し、しばらくするとまた戻ってきて、それが5年ほど繰り返されたといいます。戦後になって清が画家として有名になると、弥生軒は弁当の掛け紙の絵を清に依頼。それは四季を表すものでしたが、春・夏・秋の3枚を描き終えたところで清は49歳の若さでこの世を去ってしまいました。我孫子駅にある弥生軒の店舗には、今も清の絵と共に彼の直筆メッセージが飾られています。

店舗が増え姉妹店も登場・唐揚げそばのカレーがけも話題に

常磐線が電化・複線化されるのに伴い列車の停車時間も短くなって、弁当の販売数が激減していったため、1975年(昭和50年)頃から弥生軒は現在の立ち食いそば屋へと移行していきます。その後、常磐線天王台駅にも店舗ができ、さらに新京成線五香駅・新津田沼駅にも姉妹店の「我孫子弥生軒」がオープンして、我孫子までいかなくても弥生軒の味を気軽に楽しめるようになりました。

弥生軒といえば唐揚げそば、といえるくらい店の代名詞にもなっている唐揚げそばですが、他にも唐揚げうどん、てんぷらそば・うどん、月見そば・うどんなどバラエティに富んだメニューがあります。がっつり食べたいときは唐揚げそば・うどん、軽く小腹を満たしたいときはその他のメニュー、というふうに使い分けるのも良いでしょう。我孫子弥生軒で食べられる「カレーをかけた唐揚げそば」という変わり種メニューも人気です。

唐揚げそばを食べるために我孫子へ!それだけの価値はあるかも

弥生軒の唐揚げそばは単なる立ち食いそばの域を越え、もはや千葉県の名物メニューのひとつと言えるくらいの人気メニューとなりました。我孫子には手賀沼などの人気スポットもありますが、あえて唐揚げそばを食べるために訪れるのも良いかもしれません。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 千葉県の安孫子駅にあるそば屋『弥生軒』の名物メニューは?

A. 唐揚げそば