カクテルの「電気ブラン」が有名な、明治時代から続く東京都浅草の老舗バーとは?

電気ブランは明治時代に誕生したブランデーベースのカクテルです。美しい琥珀色にほんのり甘い味が明治時代から大変な人気を博しました。 歴史と浪漫の香り漂う電気ブランで乾杯してみませんか?

電気ブランについて

明治時代に登場した浅草を代表するカクテルです。神谷バー(東京都浅草)の創業者である神谷傳兵衛によって考案されました。神谷傳兵衛は、輸入した酒精を原料に1882年(明治15年)「速成ブランデー」を製造します。この速成ブランデーから電気ブランの歴史が始まりました。1893年(明治26年)頃にブランデーに、ワイン・ジン・ベルモットなどをブレンドした「初代電気ブラン」を販売開始。もともと薬用として売られていた輸入ブランデーに、程よい甘さや芳醇な香りを加え日本人の味覚に合うように改良しました。そのレシピの詳細は今現在も秘伝とされています。

発売当初は「電気ブラン」ではなく「電氣ブランデー」と呼ばれていました。当時、電気は文明開化の象徴。モダンで目新しいものを「電気〇〇」と呼ぶのが流行していました。アルコール45度の電気ブランは、その刺激のある飲み口に電気のイメージがぴったりだったのです。現在、神谷バーのメニューでは二種類の電気ブランが楽しめます。アルコール30度のデンキブラン(電気ブラン)、そして40度の電気ブラン<オールド>です。

神谷バー、そして電気ブランは数多くの文学作品の中にも登場します。浅草と文学には古くから繋がりが深く、たくさんの名作が浅草から誕生しました。太宰治は「人間失格」の中で「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し」と書いています。

映画化もされた三浦哲郎の「忍ぶ川」(昭和35年芥川賞)の作中にも神谷バーとデンキブランが登場します。森見登美彦の小説「夜は短し歩けよ乙女」「有頂天家族」には電気ブランを真似て造られたと思われる「偽電気ブラン」と呼ばれる飲みものが出てきます。1972年(昭和47年)にあがた森魚がリリースしたアルバム「乙女の儚夢」には、電気ブランと神谷バーを歌った楽曲「電気ブラン」が収録されています。

神谷バーの歴史

神谷バーは明治13年創業の歴史ある日本最初のバーです。

  • 1880年(明治13年)4月
    初代神谷傅兵衛が東京府東京市浅草区浅草花川戸町(現:東京都台東区浅草)で「みかはや銘酒店」を開業。当初は濁り酒などを売っていました。
  • 1881年(明治14年)
    輸入葡萄酒の販売を開始します。
  • 1882年(明治15年)
    速成ブランデー(電気ブラン)の製造販売を始めます。
  • 1912年(明治45年)4月10日
    店内を西洋風に改装し、屋号を「神谷バー」に改めました。

電気ブランの飲み方

基本的には冷やしてストレートで飲むことが多いです。神谷バー(東京都浅草)では注文すると口直しの氷水が付いてきます。生ビールをチェイサーにする飲み方もあります。また、電気ブランは合同酒精株式会社から販売されており、色々なレシピを楽しむこともできます。その歴史に思いをはせながら自宅でゆっくり味わってみてはいかがでしょうか。

◆ストレート
しっかり冷やして小ぶりのグラスで。ビールや氷水をチェイサーにしてゆっくり楽しんでください。電気ブランのピリリとした口当たりを味わうのに適した飲み方です。
◆電気ブランハイボール
グラスに氷を入れ電気ブランを注ぎ、静かにソーダを加えます。優しくかき混ぜたらスライスしたレモンを添えて完成。華やかな香りと爽快感が楽しめるレシピです。
◆ロック
大き目の氷をグラスに入れて電気ブランを注いでください。氷が溶けるにつれて変化していく味わいが楽しめます。
◆紅茶に
大匙1杯程度の電気ブランを紅茶にたらして風味付けに。電気ブラン独特の奥深い香りが紅茶に華を添えます。

グラスの中に漂う歴史と浪漫。神谷バー(東京都)発祥の「電気ブラン」で豊かなひと時を。

東京都台東区浅草を訪れた際は、ぜひ神谷バーに足を運んでみたいものですね。
明治、大正、昭和、平成……そして令和。時代は変わっても愛され続ける電気ブラン。歴史やルーツを知るほどに、その味わいにもより深みが増してくるのではないでしょうか。

ザ・ご当地検定の問題

Q. カクテルの「電気ブラン」が有名な、明治時代から続く東京都浅草の老舗バーは?

A.神谷バー