棒状にしたおこし種にきな粉をまぶした、埼玉県熊谷市の銘菓とは?

埼玉県熊谷市の銘菓をご紹介します。目にしたら「食べたことがある」と思い出す人も多いかもしれません。棒状の柔らかいおこし種に、きな粉をまぶしたお菓子です。ここではそのお菓子についてご紹介します。

独特の食感のお菓子

五家宝は独特の食感のお菓子で、見た目は「きな粉がまぶされた太めの棒」です。棒はおこし種でできていて、固さはお店によって異なりますが、基本的には柔らかいです。おこしというと固いイメージなので、予想に反して意外な噛み心地だと感じる人が多いようです。和菓子の分類では干菓子になります。

どのようなお菓子なのかは製法を知ると想像しやすいかもしれません。昔ながらの五家宝は、もち米・きな粉・水飴・砂糖だけで作られています。作る手順としては、まず、もち米を蒸して薄く伸ばして、細かく刻んで乾燥させます。そして炒ってふくらませて、そこに砂糖と水飴を加えて棒状に固めて、それをおこし種として、きな粉と水飴で練った衣をかぶせて、さらに上からきな粉をまぶして完成です。

自然な材料のみで作られた五家宝は消化にもよくて、子供からお年寄りまで食べられるお菓子として人気です。熊谷市の小中学校では給食に出ることもあるそうです。給食として出せるほど安心なお菓子なのですね。2014年には、あるバラエティ番組できゃりーぱみゅぱみゅさんが五家宝を絶賛して、ネットショップの五家宝があっという間に売り切れたという逸話もあります。

五家宝の歴史は?

五家宝は今では埼玉県熊谷市の名産品となっていますが、発祥は定かではありません。文献最古の記録としては、安永期(1772~81)に日光への道中に「五荷棒」と呼ばれる菓子があったことが記されていますが、五家宝とは異なるものだった可能性があります。もともとは保存食だったという説もあり、今のような味や形になったのは明治期以降と言われています。

五家宝という名前は、発祥と伝わる地名のひとつ「五箇村」から取ったとされる説や、五穀を使用しているからという説、五寸に切ってあるからという説などがあります。江戸時代には「五嘉棒」「五嘉宝」などの異なる漢字が当てられていましたが、今では「五家宝」に落ちついています。この漢字には「五穀は家の宝である」という祈りが込められているそうです。

五家宝が熊谷市の名産となった背景のひとつは、天保14年(1843)に熊谷市の高橋忠五郎という人物が、今の五家宝の元となるお菓子を作ったという説があることです。また、明治16年(1883)に熊谷と上野をつなぐ鉄道が開通し、駅で五家宝を土産物として売り出したことから製造が盛んになり、熊谷を代表する銘菓となったようです。

五家宝の産地、熊谷市へ行ってみよう

五家宝は熊谷市以外の地域でも、スーパーのお茶請けコーナーなどで量産品が販売されていることがあります。そして、そこで見かける多くは、見慣れた普通のきな粉の五家宝です。それなので、熊谷市から遠い地域に住んでいると五家宝はずっと変わらないお菓子という印象を持ちますが、産地である熊谷市では、チョコレート味やココナッツ味、ゆず味、季節限定品、ほか黒蜜をかけて食べるものなども販売されています。食べているときにきな粉がこぼれないようにと透明なカップに入った商品もあります。

そのようにバリエーション豊かな五家宝ですが、変り種の五家宝ではなくても、伝統的な原料と製法で作られた熊谷市の五家宝は、ひと味もふた味も違うので、ぜひ一度、産地の五家宝を味わってみてはいかがでしょうか。お土産で五家宝をもらって「五家宝ってこんなにおいしいの?」とファンになる人も多いですよ。

熊谷市はいくつもの路線が乗り入れていますし、自動車道にも囲まれていて、電車でも車でもアクセスのよい場所です。国宝にも指定されたきらびやかな「妻沼聖天山歓喜院」や、純和風で落ちついた雰囲気の「星溪園」など、見所もたくさんあります。五家宝だけではない熊谷市の魅力を体験してみてください。

変わる進化、変わらない進化、五家宝

なつかしのお菓子というイメージの五家宝ですが、時代に合わせて変り種も発売されています。昔ながらの五家宝が一番という方も、少し変わったものが食べたいという方も、ぜひ熊谷市を訪れてみてください。新しい発見があるかもしれませんよ。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 棒状にしたおこし種にきな粉をまぶした、埼玉県熊谷市の銘菓は?

A. 五家宝