佐賀県や福岡県の一部地域では、小正月に「だんだら○」という食べ物を食べる風習があるのだそうです。では、○に入る漢字一文字は一体なんでしょうか?
無病息災を願った「だんだら粥」!
佐賀県や福岡県の一部地域では、正月15日のいわゆる小正月に「だんだら粥」を食べる風習があるそうです。
地元の方言では「だんだらがゆ」「だんだらがい」と呼ばれているもので、お餅の入った赤飯といったところ。「粥」という割にはお粥というわけでもないようです。
元は「枕草子」や「土佐日記」にも書かれていて、無病息災を願った宮中行事からくる伝統的な風習ですが、現代では「だんだら粥」を食べる地域も限られており、行う家庭も減ってきているそうです。
望粥(もちがゆ)の節句が「ダンダラ粥」に?!
そんな「だんだら粥」の由来を遡ると、古代中国大陸での風習にたどり着きました。
6世紀半ばに書かれた書物によると、当時中国では正月15日に豆の粥や餅をのせた粥を門戸にお供えし、ネズミを追い払うおまじないをしていたそうです。
その中国のおまじないが、平安時代には日本の宮中行事として取り入れられるようになり、その様子が「枕草子」や「土佐日記」にも記されているようです。
当時の粥は「七草粥」のように、小豆、ゴマ、栗、きびなどの七種類の穀物が入り、その上に餅が載っていたようですが、そこから魔よけの力があるといわれていた小豆が残り、現在の赤飯+餅のような「だんだら粥」になっていったようです。
清少納言が「枕草子」に記した内容は「餅粥の節句」。1月15日は、粥を作り帝が食する。何処の家でも粥を炊く。東に向かって二度礼拝して食すれば年中疫病知らず、という行事の内容です。
ネズミ除けのおまじないから、無病息災を願って、に変化したのはこの頃からなのでしょうか。
かつては、成人の日が1月15日だったこともあり、「だんだら粥」は成人の日と合わせて覚え作られていた地域行事のひとつ。中に入れるお餅は、割れたりヒビが入ったお供え餅などを利用していたそうで、ヒビが入った餅も小豆と米と一緒に炊いて、くっつき合う様を、家族が一致団結して、くっつきあって仲良く過ごすように、といった意味もこもっていたそうです。
家族や親戚や集落の一致団結という素晴らしい思いがいつの間にかこめられていた「だんだら粥」。お餅も米も小豆もだらだらに溶け合い、ちょっと塩味のきいた「だんだら粥」を家族団らんで囲む情景とともに、無くしてほしくないご当地の風習でした。
とっても簡単!「だんだら粥」の作り方!
「だんだら粥」は、とても簡単に作れるようです。
まず、小豆を硬めに茹でます。(茹で汁は捨てずに取っておきます。)
赤飯を炊く要領で、炊飯器に米と茹で汁を入れ水を足します。
塩を少々振り、上から小豆と餅を入れ、炊くだけで完成です。
当時は、割れてしまったお供え餅や鏡餅などを使用していたようです。
無くしたくない風習!14日の「もぐら打ち」?!
1月15日の小正月には「だんだら粥」を食すという地域の辺りには、「もぐら打ち」の風習も残っていました。皆さんは、九州各地で残っている「もぐら打ち」という風習をご存じですか?
「もぐら打ち」は、子ども達が各家々の玄関先や庭先の地面を、竹に巻きつけた藁束で叩いてまわる伝統行事ですが、どうやら形が違えど各地に残っていたり、一度無くなったもののまた復活したりしている昔からの行事です。
元々は、田畑を荒らすモグラを追い払うために地面をたたいていた作業ですが、五穀豊穣や家内安全を祈る儀式として行われているそうです。
地域の子ども会主導で行われることも多く、小正月前の1月14日に、子ども10人ほどで家々をまわり、その地域に伝わるもぐら打ちのわらべ歌を歌いながら、藁の束で地面をバンバンと叩きます。リズムに乗ってみんなで地面を叩き大声で歌う様子は、とても微笑ましい光景です。最後に「もぐら打ち」をしてもらった家庭は、感謝の意をこめて子どもたちにお菓子を配ります。
この「もぐら打ち」のお礼やお振る舞いで、かつてはお菓子やご祝儀などのほかお餅も頂いたのだそう。終わった後の集会の食事として出てくることもあったそうなので、当時は時期的に「だんだら粥」として振舞われることもあったかもしれないですね。
ザ・ご当地検定の問題
Q.佐賀県や福岡県で小正月に食べる「だんだら○」。○に入る漢字一文字は?
A.粥