大分県の郷土料理「黄飯」。黄色く色を付ける食材は?

大分県臼杵市の郷土料理に「黄飯(おうはん)」というものがあります。見た目もきれいな黄色いごはんですが、この黄色に色付けするのに使われる食材は何でしょうか?

砕いた乾燥クチナシの実をつけた水で炊いたごはん

「黄飯」はクチナシの実で黄色く色付けしたご飯のことです。エソなどの白身魚と豆腐、野菜などを炒め煮した「かやく」と呼ばれる料理とセットになっていて、このかやくを黄飯にかけて食べます。このかやくを大晦日にたくさん作り、お正月の三が日の間、温めなおしては食べられるそうです。

「黄飯」の由来

江戸時代の稲葉藩では、財政が困窮したことから質素倹約が奨励されました。当時、あずきは非常に高価だったため、慶事の際に出すお赤飯に代わる料理として生まれたと言われています。稲葉氏分家の当主が有馬温泉を訪れた際に、大阪の蔵屋敷にて家臣に労をねぎらい、黄飯を振る舞ったという記録が残されています。また、キリシタン武将として有名な大友宗麟の時代の臼杵は、商業都市としてポルトガル商人等との南蛮貿易が盛んに行われたことから、スペインのパエリアの影響を受けたのではないか、という説もあります。

他の地域にもある「黄飯」

黄飯は大分県臼杵市だけでなく他に地域にもあります。「黄飯」と書いて「おうはん」ではなく「きいはん」と呼ぶのは、愛知県の名古屋市を中心とした地域。端午の節句のお祝いで作られます。こちらもクチナシの色で黄色く色付けしたごはんですが、黒豆が入っているのが他と違う点です。静岡県東伊豆町では「きめし」と呼び、供たちの健康を願うひなまつりやお祝い事の振る舞いとして食べられてきたそうです。

伝統と文化の町・臼杵市

臼杵市はしょうゆや味噌、地酒などの醸造の町であり、国宝に指定された臼杵石仏や二王座歴史の道など城下町の街並みが今も残る、歴史と文化が息づく町です。地域の人々が大切に守り伝えてきた味と伝統をそこかしこに感じることができます。臼杵に観光に来たなら、ぜひ回っておきたいコースを紹介しましょう。

まずは、臼杵城址を訪ねましょう。戦国武将である大友宗麟が築いた城で、その姿から亀城と呼ばれ、築城当時は四方を海に囲まれた全国的にも珍しい天然の要塞でした。現在は埋め立てにより陸続きになっていますが、黒い岩肌と石垣から往時の様子を垣間見る事が出来ます。また、県内有数の桜の名所としても有名です。

散策するのにぴったりなのが二王座歴史の道。高い石垣や白壁の建物、多くの寺院など城下町の面影が残っている情緒あふれる街並みです。「八町大路」は安土桃山時代から続くという歴史ある商店街で、のんびり歩いてみましょう。

稲葉家下屋敷は、藩置県後に東京へ住まいを移した旧臼杵藩主稲葉家の里帰りのための邸宅として建築されました。杉や檜などの上質の素材が使用され、式台のある玄関や書院作り奥座敷、謁見の間である表座敷など格式の高い造りから国登録有形文化財となっています。

古園石仏大日如来像に代表される臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。しかし、誰がどのような目的で造営したのかは不明で、今もなお多くの謎に包まれています。彫刻の質の高さ、規模、数において日本を代表する石仏群であり、磨崖仏では全国で初めて国宝に指定されました。石仏の数は61体におよび、その全てが国宝となっています。

旅の疲れを癒すなら、薬師の湯「臼杵湯の里」へどうぞ。地下1,300メートルから湧きだしている臼杵唯一の温泉です。自然の岩盤をそのまま使用して作られた雄大な露天風呂は開放感たっぷり。美人の湯ともいわれ、湯加減もちょうどよく、ずっと浸かっていられるそうです。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 大分県の郷土料理「黄飯」。黄色く色を付ける食材は?

A. クチナシ