新潟県の郷土料理「けんさ焼き」は、どんなものに味噌を塗って焼いたもの?

新潟県の郷土料理「けんさ焼き」をご存じでしょうか。あるものに味噌を塗って焼いた料理です。味噌の香ばしさとしょうがのアクセントがクセになる、 「けんさ焼き」 についてご紹介します。

けんさ焼きの起源は上杉謙信軍の遠征だった

けんさ焼きは簡単に言うと味噌味の焼きおにぎりで、「ふるさとおにぎり百選」にも選ばれています。おにぎりと言えば三角形や俵型が有名ですが、けんさ焼きのおにぎりは円状に形を整えます。味噌にはおろしショウガを混ぜるのが特徴です。食べたときには、味噌の香ばしさとしょうがのアクセントが口に広がります。
けんさ焼きの起源は、上杉謙信が行軍したときに冷たくなったおにぎりを剣の先に刺して、火であぶって食べたのが始まりになります。「剣の先」焼きがなまって、けんさ焼きと呼ばれるようになったと言われています。ですが他にも、献上品の残り物を使った料理だったので、「献残」焼きからけんさ焼きに転じたという説もあります。

けんさ焼きは新潟県では、昔から子供のおやつとして食べられたり、正月や米の収穫を祝うときに食べられてきた郷土料理です。焼いたものをそのまま食べるのではなく、お椀に入れて出汁やお茶をかけてお茶漬け風にする食べ方もあります。
けんさ焼きはシンプルなようで、実はバランスのとれた栄養食になります。お米は身体を動かすのには必要不可欠な炭水化物でできており、ビタミンやミネラルが豊富です。これに味噌を加えると、筋肉をつくるのに欠かせないアミノ酸も一緒にとることができます。さらにショウガといった薬味を加えると細胞の抗酸化作用を得ることができます。上杉軍の兵糧として食べられていただけのことはありますね。

けんさ焼きを家で作ってみよう

けんさ焼きは、家庭でも手軽に作れる料理です。用意する材料は、冷や飯、味噌、おろしショウガのたった3つです。
作り方もシンプルで、まずは冷や飯を手のひらサイズの円状にまとめていきます。形を整えたら表面を焼いていきます。七輪があればいい塩梅に焼き色を付けていけますが、フライパンでも十分代用可能です。フライパンには油をひかずに、弱火で焼いていきます。ご飯に焦げ目がついたらひっくり返して、もう反対側も焼き色がつくまで焼いていきます。
両面がこんがり焼けたら、味噌とおろしショウガを混ぜた調味料をおにぎりの片面だけに塗っていきます。あとは調味料を塗った面を焼いて焦げ目をつけます。味噌が焼ける香ばしい香りが漂ってきたら完成です。
お好みに合わせて、味噌の上に刻みネギや大葉、ゴマなどの薬味を添えて食べるのもいいでしょう。

新潟県が米の名産地として有名になったのはいつ?

米は日本人の主食で、けんさ焼き以外にも、非常にたくさんの料理に利用されています。新潟県は広大な土地を持つ北海道を抑えて、日本の米の生産量1位の座を堅守し続けています。
新潟県はどうしてこれほど米作りが盛んになったのでしょうか。その答えは江戸時代から続いてきた土地の整備と、米の品種改良にありました。
新潟県には、越後平野という東京都の面積に匹敵する平野があります。ここには信濃川が通っており米作りに最適な条件がそろっていたのです。江戸時代には川の水を引いてくる工事が行われ、明治時代以降になると湿地帯を干拓して、水田にできる土地を広げていきました。昭和になると、水田地帯もかなり広がっていましたが、まだ新潟県の米は収穫が少なかったと言われています。

その理由に、稲が病気に弱いという点が挙げられます。当時の新潟で栽培されていた米は「農林1号」という品種で、味はよいけれど、いもち病に弱いという欠点がありました。そこでいもち病に強い「農林22号」と「農林1号」を掛け合わせて、おいしくていもち病に強い米を作りだしました。それが「コシヒカリ」です。
米の名産地として有名な新潟県の背景には、江戸時代から続く、人々の努力の歴史があったのです。

「けんさ焼き」は余ったご飯ですぐに作れる

けんさ焼きは日本一の米どころ新潟県にぴったりの郷土料理です。けんさ焼きに興味が湧いたのなら、自分で作ってみてはどうでしょうか。材料もご飯、味噌、おろしショウガしかいらないので、小腹が空いたときや夜食などで、さっと作って食べることができます。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 新潟県の郷土料理「けんさ焼き」は、どんなものに味噌を塗って焼いたもの?

A.ご飯