新潟県の鶏肉を使ったご当地グルメ「半身揚げ」で多い味付けは?

全国各地には独自に浸透した食文化を総称するソウルフードというものがありますよね。そんなソウルフードの中で新潟県で独自に発展した料理がB級グルメとして人気になっているのです。その新潟独自に発展したソウルフード半身揚げを紹介します。

戦後の勿体ない精神が生み出した料理

半身揚げ発祥の新潟県新潟市は新潟県の北東部に位置し、日本海に面しているため新鮮な海産物がたくさん入るだけでなく隣接している長野県から質の良い山水が流れるので米作だけでなく酪農も盛んな都市です。日本海は中国や韓国と面しているため、戦後ある事情があって中国に渡っていた人々が帰還した際に唐揚げを含めた中国料理の技法が伝わります。ただ唐揚げといった技法が伝わったから半身揚げが出来たわけではなく、この料理が出来たのは戦後の勿体ない精神が生み出したのです。

戦後の新潟県は隣接している長野県から質の良い山水が流れる環境を利用して、米作だけでなく養鶏を含めた酪農を産業の中心として据えます。半身揚げの元祖といわれるせきとりは、元々鶏料理の専門店ではなく養鶏場を営んでいたのです。戦後間もない時は食料自給率が低いこともあり養鶏がうまく運営していたのですが、時代が進むにつれて自給率が安定していくと競合相手が増えてしまって経営が悪化します。

これでは立ち行かないと感じたせきとりの創業者は、大切に育てた鶏肉を売るだけでなく料理を作って売り出す方向に転換します。その時に鶏肉の調理方法として、中国に渡っていた人々から唐揚げの技法を聞き取りを行い実践します。しょうゆダレに漬け込んで衣をつけて揚げた唐揚げは大変人気になり、傾いていた経営は持ち直すことに成功したのです。しかし創業者は唐揚げを作っている最中にある悩みを持つようになるのですが、これが半身揚げを誕生させるきっかけになります。

唐揚げを作るためには鶏肉を一口大に切らなければならないのですが、その際に唐揚げに使えない部位や切れ端が生まれてしまいます。戦後食料自給率の低い時を経験している創業者にとっては、使えない部位や切れ端が生まれてしまうのは勿体ないと感じたのです。その上しょうゆダレにつけると臭みが取れておいしくなるのは理解していましたが、タレにつけると浸透するのに時間がかかるので手間がかかってしまいます。さらに揚げてから時間が経つと鶏肉とタレの水分が外に出てしまって揚げた衣がふやけてしまうし、なにより冷蔵庫のない時代では日持ちしないことも悩みだったのです。

この問題点をクリアするために試行錯誤を繰り返した結果、使えない部位や切れ端が出るのは勿体ないので半分だけ切って使うことを決めます。ただ大人の鶏では揚げるための鍋に大き過ぎて入らないので、そこで鍋に入るのと食べやすいの両方の条件を満たすサイズとしてひよこと大人の鶏の中間のひなどりを使うことで問題をクリアしたのです。

ただしょうゆダレの漬け込む時間と、時間が経って衣がふやけてしまうという問題まではクリアできなかったのです。そんな中で転機が訪れたのが、昭和30年代に小学校から中学校で始まった給食になります。給食ではご飯を美味しく食べるためのおかずが用意されていましたが、その時に子供たちの間で大変人気になったのがカレーだったのです。カレーはたくさんの香辛料を使うものなので、香りがよいだけでなく日持ちが良いということが情報で伝わります。そこで創業者がしょうゆだれにつける工程を廃止して、カレー粉を使うことによって漬け込み時間が無くなるだけでなく揚げた後もタレの水分が外に出ないのでパリパリと食感が維持できたのです。

さらにカレー粉の中には殺菌作用のある原料が含まれているので、冷蔵庫のない時代では日持ちする揚げ物として重宝されます。このような経緯で生み出された半身揚げは、新潟県新潟市で口コミで広がって爆発的にヒットした結果ソウルフードとして定着することになります。

ソウルフードは町おこしになる

B級グルメが人気になった背景には、知らない食文化を楽しめる魅力があるからです。実際に半身揚げがグランプリで表彰された後は食べにやってくる観光客が増えたように、ソウルフードは町おこしにとって重要な役割を担えることが分かります。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 新潟県のご当地グルメ「半身揚げ」に使われる肉は?

A.鶏肉