福島県でめでたい日に食べられる「こづゆ」は、何で出汁をとる?

こづゆは福島県会津地方の郷土料理です。正月や祭りなどお祝いの席で振る舞われる料理で、冠婚葬祭には欠かせないとされています。こづゆはどのようにして生まれ、なぜこのような名前を付けられたのでしょうか。

こづゆの歴史と由来

こづゆはホタテの貝柱で出汁をとって作る会津地方の汁物料理です。では、こづゆはどのようにして誕生したのでしょうか。その始まりは江戸時代で、内陸に位置する会津地方では海老や鯛といったお祝いの席に欠かせない食材を手に入れることが困難でした。そこで、これらの食材の代わりにホタテの貝柱が食材として使用されて、出されたのがこづゆだったと言うわけです。こづゆが広まったのは江戸時代から明治時代の初期にかけてと言われており、当初は会津藩の武士の間に広まり徐々に庶民の口に入るようになったとされているのです。

お祝いの席でお代わりするのは失礼だとされていますが、こづゆは何杯でもお代わりをしても良く、むしろそれが当然だとされており会津のおもてなし料理とも言われます。なぜこの汁物料理をこづゆと言うのかというと、小吸物が変化してこづゆとなったからという説があります。かつては、かいつゆとも呼ばれていました。

こづゆのレシピと栄養

こづゆは比較的手軽に作ることができます。まず、干し貝柱を水で戻しこれをほぐします。戻した水は後の工程で使うので捨てずにとっておきます。次に、鶏のもも肉を適度な大きさに切り大根とニンジンをイチョウ切りにします。里芋は食べやすい大きさに切り、ごぼうは笹がきにし糸こんにゃくも一口大に切ります。きくらげを水で戻し、食べやすい大きさに切ります。初めの工程でとっておいた貝柱を戻した水に、醤油と下ごしらえをした食材を入れて煮込みます。水で戻した干し貝柱を食べやすい大きさに切り、前の工程で煮込んでいた食材に火が通ったら貝柱を入れます。みりんで味を調整して出来上がりです。豆腐や豆麩を入れても美味しいとされています。

このようにして作られるこづゆには、どのような栄養があるでしょうか。まず、ナトリウムが多く含まれています。これは、体内の水分量のバランスを保ち筋肉を正常に動かすために働くものです。次に、ビタミンDが豊富です。これは、免疫に関係し感染症や風邪の予防に働きます。さらに、パントテン酸も豊富です。これは、皮膚や粘膜の機能を維持するために働くものです。

福島県の歴史と見どころ

こづゆを生み出した福島県はどのような歴史を歩んできたのでしょうか。福島県一帯はかつて、大和政権の支配下に置かれていました。江戸時代に入り上杉氏が支配するようになると幕府直轄地として管理されるようになります。1876年に当時存在した若松県と福島県、磐前県が合併し戦後の福島県が誕生しました。福島という名称が初めて使用されたのは、16世紀に存在した福島城だとされています。このような歴史を持つ福島県には多くの史跡があります。

まず、飯盛山が挙げられます。ここは、幕末に起きた戊辰戦争で旧幕府軍の白虎隊が自害した山で、多くの歴史ファンが訪れます。また、登山コースも整備されているので登山を楽しむ人も多いです。次に、旧滝沢本陣跡が挙げられます。ここは飯盛山に近く、白虎隊が命令を受けた場所とされています。本陣とは、江戸時代の参勤交代における大名の宿泊場であり、内部には戊辰戦争時の弾痕や刀で付けられた傷が柱に残されています。福島県は戊辰戦争の傷跡を見ることができ、その当時にタイムスリップできる所でもあるのです。

ホタテの貝柱で出汁をとる福島県の郷土料理こづゆに歴史を感じる

江戸時代に誕生したホタテの貝柱で出汁をとるこづゆは、農林水産省により「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれたことから全国的に知名度が広まっていきました。福島県は観光スポットなどで歴史を感じるだけでなく、食でも歴史を感じることができるのです。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 福島県でめでたい日に食べられる「こづゆ」は、何で出汁をとる?

A.ホタテ

Q. 幕末に起きた戊辰戦争で旧幕府軍の白虎隊が自害した山として知られる、福島県の山は?

A. 飯盛山