富山県の「高岡コロッケ」のイメージキャラクターとなっている、高岡市出身の漫画家、藤子・F・不二雄が生み出したキャラクターは?

ドラえもんやパーマンなど数多くの少年漫画を描いた、日本が誇る漫画家である藤子・F・不二雄の出身地として知られる富山県高岡市。そんな高岡市には、高岡コロッケというB級グルメがあります。高岡コロッケとはどんなコロッケなのでしょうか?

明治時代に日本に入ってきた料理・コロッケ

コロッケの消費量が日本一と言われている富山県高岡市。そんな高岡市はコロッケの町とも呼ばれています。高岡市のコロッケの消費量が多いのは、共働き率が高いからといわれており、お惣菜のコロッケを晩御飯のおかずとして買って帰るお母さんが多いということのようです。

そんなお惣菜として定番ともいえるコロッケですが、コロッケが日本に入ってきたのは明治時代に入ってから。フランス料理のクロケットなどが起源とされており、クロケットから転じてコロッケという名前になったともいわれています。今では人気のお惣菜でもあるコロッケですが、日本に入ってきたばかりの頃は、庶民にはそれほど普及しなかったようです。しかし、大正時代に帝国劇場で上映された「ドッチャダンネ」という劇の劇中歌の中にあった「コロッケの唄」という曲が転機に。その歌が大流行したことでコロッケの知名度が上がり、庶民にもコロッケが人気料理の1つになりました。

高岡市のコロッケの歴史と町おこし

そんなコロッケが、富山県高岡市で初めて飲食店で出されたのは、1900年の風玉堂という西洋料理店です。この風玉堂は、その後移転して宝亭という本格的なレストランへ変わりますが、この当時のコロッケは、今のような買い食いを楽しめるような手軽なお惣菜ではなく、ナイフとフォークで食べる正式な西洋料理でした。そんな西洋料理のコロッケが、家庭でも食べられるようになったのは戦後のこと。高岡市では市の中心部にあった6軒の精肉店が、まず最初にコロッケを売り出しました。、戦後の食糧不足の際に、肉が手に入らない状況から始まったとされます。

そんなコロッケを高岡市のイメージアップに活用しようとして、2004年に高岡市の若手職員の有志が運営するホームページで紹介。それに呼応して、ホテルニューオータニ高岡が新作コロッケを作るなどして徐々に盛り上がりを見せていきました。そして、2008年に高岡市や高岡商工会議所などが集まって高岡コロッケ実行委員会が発足。高岡コロッケの加盟店も徐々に増え、高岡コロッケの人気や知名度が上がっていきました。また高岡市は、同じようにコロッケで町おこしに取り組んでいる茨城県龍ケ崎市、静岡県三島市と、「三コロ会」を結成して交流を行っています。

イメージキャラクターにコロ助を採用

そんな高岡コロッケのイメージキャラクターとして、コロ助が使われています。このコロ助は、高岡市出身の漫画家・藤子・F・不二雄の漫画「キテレツ大百科」に登場するからくり人形のキャラクターで、コロッケが大好物。語尾に「ナリ」をつけて話すという特徴を持った、頭にちょんまげを結ったキャラクターです。高岡市の高ノ宮通りのコロッケ横丁では、「コロ助と行こう!コロッケスタンプラリー」というイベントが開かれ、藤子・F・不二雄ファンにも人気を呼びました。

高岡コロッケの特徴は、これだというレシピが存在しないことです。なので、コロッケの中身もお店によって様々。シンプルなジャガイモのコロッケもあればかぼちゃのコロッケもあり、富山の名産の白エビのコロッケもあります。また、変わり種として中身がチョコレートやアイスクリームのコロッケなんてものも。高岡市で販売されているコロッケの全ての総称として、高岡コロッケという名前が使われています。

高岡コロッケを食べに富山県高岡市へ

コロッケで町おこしを行っている富山県高岡市。高岡市には、色々な種類の高岡コロッケが販売されています。行くたびに、新しい高岡コロッケに出会えるかもしれませんよ。是非高岡コロッケを求めて、高岡市へ行ってみてはいかがでしょうか?

ザ・ご当地検定の問題

Q. 富山県の「高岡コロッケ」のイメージキャラクターとなっている、高岡市出身の漫画家、藤子・F・不二雄が生み出したキャラクターは?

A.コロ助