料理に使う「つまようじ」の国内生産の9割以上を占めるのは?

生まれてこの方つまようじを使ったことがないという人はあまりいないと思います。でも、国内のつまようじの9割以上が、ひとつの都道府県で作られていることを知っている人はあまりいないないのではないでしょうか?その都道府県とつまようじの関係についてご紹介します。

つまようじを最初に使ったのはネアンデルタール人?

つまようじの使い方として一般的なのは、やはり食後に歯に挟まったものをとるというものではないかと思います。人類が初めてつまようじを使ったのは、なんと数万年前だといいます。2013年、スペインの発掘チームが、およそ5万から15万年前のものと見られるネアンデルタール人の頭蓋骨の化石を発掘、そこに残された歯に、あきらかにつまようじのようなものを使った後が残っていたというのです。日本につまようじが伝来したのは、仏教と同時だったと言われます。つまりおそらくは飛鳥時代のころ。お釈迦様がつまようじを使って歯をきれいにする教えを残したとされ、それが仏教の教えとともに伝わったようです。

つまようじが庶民にまで伝えられるのは、平安時代になってからだそうです。そして、江戸時代になると木の先端を叩いてほぐし、ブラシ状にした「房楊枝」というものが作られるようになりました。これはいわば木でできた歯ブラシ。特に江戸や大阪などの都市部で広く使われるようになり、また、その一部は小型化して、先のとがった現在のつまようじのような形になりました。

大阪とつまようじのかかわり

つまようじは別名「クロモジ」とも言います。これは、江戸時代につまようじがクロモジという木を原料に作られることが多かったからです。そして、現在の大阪府河内長野市は、そのクロモジの産地として知られていました。ただ、河内長野市ではつまようじの生産は行われておらず、府外の業者がクロモジを仕入れ、つまようじを生産していたという状況でした。大正時代になり、自分たちも材料を卸すだけではなくつまようじを生産しようという動きが生まれます。そして、三重県などのつまようじ生産業者が誘致されました。それと同時に、それまで手作業で一本一本つくられていたつまようじが、アメリカから輸入した木を刻む機械を利用し、大量生産されるようにもなりました。

こうして着実につまようじ生産を町の産業として根付かせていった結果、昭和の半ば頃にはつまようじの国内生産量が日本全体の9割以上にまでなりました。現在の主要なつまようじの原料は白樺。クロモジのつまようじは高級品になっています。また、河内長野市では、木材だけではなくブラスチックなど他の材料でのつまようじ製造も行われるようになっています。

郷河内長野市を観光するには

つまようじ生産業者の一つ広栄社は、社会に「つまようじ資料室」を設置し、つまようじの歴史や製造過程などが展示されています。つまようじ資料室までは大阪市の汐見橋駅が起点となる南海高野線、もしくは羽曳野市の古市駅が起点となる近鉄長野線の河内長野駅で下車、南海バス高向線に乗り換え、長野車庫で下車します。

河内長野市には、もう一つの特産品であるすだれの資料館もあります。そのすだれ資料館のすぐ近くにあるのが、弘法大師空海が修行したとも伝えられ、大阪みどりの百選にも選ばれている天野山金剛寺です。南海高野線は高野山へ向かう路線ですから、金剛峯寺への参拝のついでに立ち寄ってみると、より弘法大師に近づけるかもしれません。すだれ資料館、もしくは金剛寺には、河内長野駅から南海バスに乗り換え、天野山バス停で下車します。

その他、様々な形の自転車に乗れる関西サイクルスポーツセンター、季節ごとの花を楽しめる大阪府立花の文化園などもあるので、休日を飽きずに過ごすことができるのではないでしょうか?

伝統ある国産のつまようじ

国内生産量9割以上を誇るという河内長野市のつまようじは、現在外国製のつまようじにシェアを奪われつつある状態だといいます。でも、伝統と口の中に入れるものという安全性から考えれば国産のものを使いたいですね。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 料理に使う「つまようじ」の国内生産の9割以上を占めるのは?

A.大阪