これを食べた殿様が呟いた一言から名前が付いた、大分県の名物「鯛茶漬け」は?

大分県のある「鯛茶漬け」にはこんなエピソードがあります。その昔、江戸時代の末頃、杵築城の能見松平家のお殿様が体調を崩され食欲がない時に、当時の大谷屋の鯛茶漬けを連日出され、召し上がっていました。その時にお殿様がつぶやいた一言が今でも語られ、使われています。

お殿様が喜んだお茶漬け

現在では飲食店などでも見かけるようになった「鯛茶漬け」。大分では「鯛茶漬けうれしの」と呼ばれる鯛茶漬けがあるのをご存じでしょうか。「うれしの」ってなんだかこっちまでうれしくなってしまいそうな名前ですが、この由来はなんでしょうか?

元禄11年(1698年)に創業された若栄屋は豊後杵築藩の城下町にあり、当時は大谷屋のという店名で城下町に唯一営業を許された御用料亭として開業していました。江戸の初期から続く若栄屋は、杵築城の殿様に代々愛された歴史を持ち、若栄屋というその名前も殿様からいただいたもの。その後、江戸から明治に変わる頃、若栄屋の名に改名。現在では杵築の町を代表する老舗料亭として、鯛茶漬けのほかにも江戸のお殿様気分を味わうことのできる大名料理や、ハモ、タイ、フグ料理などの近海でとれた旬の海の幸を提供しています。城下町杵築では唯一16代続く老舗の料理屋さんです。漫画「美味しんぼ」にも紹介された事があり、その名が広がりました。

江戸時代の末頃、杵築城の能見松平家のお殿様が体調を崩され食欲のない時に、鯛茶漬けを連日召し上がっており、鯛茶漬けが大好物だったお殿様は、「今日も鯛茶漬けでうれしいのう」と喜ばれたそう。そのことから、「うれしのう」が「うれしの」となり、定着しました。「うれしの」という料理名が地名と重なることから商標登録は不可能かと思われていましたが、お殿様に認められた味という圧倒的な歴史をもって許可されました。

「うれしの鯛茶漬け」のたれは大分産の胡麻をすり、それに醤油などを加えて味を調えたもの。現在まで300年以上当時の味を守り続けている若栄屋の鯛茶漬けのレシピはありません。たれのレシピは門外不出。自慢のたれは一子相伝の秘伝中の秘伝の味なのです。

この秘伝の胡麻だれに、新鮮な鯛の切り身をご飯の上にのせ、出汁ではなく、熱いお茶をかけます。一般的に鯛茶漬けというと出汁をかけて食べる地域が多く思いますが、若栄屋では茶所としても有名な地元杵築の緑茶をかけていただくのです。

お茶漬けの歴史

お酒を飲んだ後に締めのご飯として食べられる事も多いお茶漬け。鯛茶漬けは簡単に説明すると、「お茶漬けに鯛の切り身がのったもの」ですが、日本ではいつから茶漬けが食べられるようになったのでしょうか。そもそも最初に食べた人は、なぜご飯の上にお茶をかけて食べたのか不思議ですね。

お茶漬けは元々「湯漬け」といってお湯をかけて食べたのが始まりだと考えられています。なんとそのはじまりは飛鳥時代にまでさかのぼるのだとか。昔はお米を炊いても保温など出来ずに、しばらくすると冷たく固くなっていました。残ったお米をなんとかして食べようとお湯をかけ、柔らかくし、食したのだと考えられています。また、平安時代の「枕草子」などの書物にも、湯漬けという食べ物が登場する事から、かなり古い歴史があるのは間違いなさそうです。

江戸時代中期以降になると、日本でもお茶が一般的にも普及してきました。それまではお茶は高級品とされ、庶民には飲むことが出来なかったのです。
お茶が庶民にも普及されてきた事によりお湯ではなく、食事時に一緒に出されるお茶をそのままご飯にかけていたのだと思われます。

さらに江戸時代後期には、お茶漬け専門店が登場します。ただお茶漬けだけを食べさせてくれる店というわけではなく、今でいう軽食喫茶店などと同じような扱いでした。またすぐに食事ができる料理を出す店という意味で作られていたので、まさに江戸時代版のファーストフード店ですね。

ザ・ご当地検定の問題

Q. これを食べた殿様が呟いた一言から名前が付いた、大分県の名物「鯛茶漬け」は?

A. うれしの