江戸時代、服部伊予保重により考案創業された三重県の銘菓とは?

今回は三重県の亀山3大銘菓のひとつを紹介します。その和菓子の歴史は古く、江戸時代に遡ります。作られるようになった経緯は忍者と関係があると言われています。その歴史や特徴について紹介しましょう。

「関の戸」の歴史と特徴について

三重県銘菓の「関の戸」とは、求肥餅に赤小豆の漉し餡を入れて「和三盆」をまぶした餅菓子のことです。求肥とは白玉粉に水飴・砂糖を練り込み蒸して餅のように柔らかくした菓子のことで、求肥を使った例として羽二重餅・吉備団子・バター餅などが挙げられます。求肥は餅のような柔らかい食感ですが、常温保存しても餅のように時間の経過とともに硬くなることがありません。「関の戸」の求肥は薄く仕上げられており、中にぎっしりと漉し餡が入っていて1個は1口サイズでもずっしりと重量感があり、食べ応え十分です。

「和三盆」とは最高級と言われる阿波特産の和菓子用白砂糖を指します。「和三盆」をまぶした「関の戸」の表面は、三重県の鈴鹿の山峰に白く輝く積雪をイメージしていると言われています。1個1個が丁寧に包装されており、開封しても「和三盆」がこぼれ落ちないように工夫されています。江戸時代に徳川三代将軍として家光が君臨した寛永年間の頃から、東海道53次の宿場町「関宿」で作り続けられている上品な味わいのお菓子で、関宿から1文字を借りて「関の戸」と名付けられました。「関の戸」は、京都御所や諸大名に献納された高級茶菓子としても知られています。

「関の戸」を考案したのは忍者の末裔の服部伊予保重という人で、本業を隠し和菓子屋を装うために作っていた菓子だという言い伝えがあります。「関の戸」を江戸時代から作り続ける深川屋は、材料や製法について日本文化の伝承を忠実に守ってきました。「第一回みえセレクション選定商品」にも選ばれていて、広くその上品な味が知られています。「関の戸」に地元の亀山茶の粉末をまぶした「お茶の香関の戸」も人気があります。常温保存で15日間美味しく食べることができますが、冷蔵庫に入れてはいけません。求肥が硬くなって本来の風味が損なわれてしまう恐れがあるからです。

「関の戸」に入っている漉し餡には小豆が多く含む鉄分が豊富です。鉄分は酸素とビタミンCとともに肌を綺麗に保つコラーゲンの生成に欠かせません。求肥の成分の中では銅と亜鉛の比率が高いと言えます。亜鉛は体調を整え、髪・皮膚・筋肉の生成に必要な微量元素です。銅は免疫効果を高め、動脈硬化を防ぎます。「関の戸」は三重県亀山市の創業370年余の本店以外でも、三重県内の百貨店・高速道路にあるサービスエリア・伊勢神宮前の「おかげ横丁」などで購入できます。また、遠方に住んでいる人も通販で注文すれば、全国どこでも宅配が可能です。

三重県という土地について

気候が温暖で緑に恵まれた三重県は、海・山・川からの恩恵も大きく1年を通して食材に事欠くことがありません。三重県では、昔からこうした恵みを生かし、独自の食文化を発展させてきました。また、三重県には伊勢神宮があって全国からの参拝客が集まり、各地との交流が盛んで食文化もそれに応じて変化してきたのです。また、三重県には江戸時代に東海道を始めとして伊勢道・和歌山街道・熊野街道など多くの街道があり、交通の要となっていました。

当時交通手段を人馬に頼らざるを得なかった旅人は、休憩の度に空腹や疲れを癒すためお茶と甘いお菓子を欲しました。こうして三重県では多種多様のお餅が考案されるようになったのです。東海道沿いでは桑名の安永餅・日永のなが餅が有名です。伊勢周辺では赤福餅・お福餅・二見の空也餅などがあります。「関の戸」もこうした流れの中で人気を博していき、地元の銘菓として定着していったと言えるでしょう。

三重県に旅行したらお土産に「関の戸」はいかがでしょうか?

「関の戸」はお茶のお供に最適です。三重県のお土産に1つ購入することをおすすめします。深川屋は通常「関の戸」だけしか販売しませんが、毎月数日だけ「関の戸あんぱん」を販売しているので、亀山を訪れたら是非探してみてください。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 江戸時代、服部伊予保重により考案創業された、三重県の銘菓は?

A. 関の戸