山形県の麺料理「鶴岡麦きり」の原料となる麦とは?

山形県の郷土料理である、鶴岡麦切りという麺料理をご存知でしょうか。山形県で愛されてきた鶴岡麦切りとはどのような麺料理なのか、山形県鶴岡市とはどういう所なのか、ご紹介します。

山形県で愛される郷土料理

山形県の郷土料理である鶴岡麦切りというのは、細打ち麺の事です。小麦粉を練り、伸ばした物を包丁で細く切る事から、いつしか人々が麦切りと呼ぶようになったという事です。その麺はコシがあり、ツルツルとした食感で、1年を通じて食されています。作り方はうどんに似ていますが、鶴岡市がある庄内地方では、うどんとは違う料理とされています。年中を通して愛され、大晦日になると年越しそばの代わりに麦切りが食べられる事もあります。鶴岡市内にある飲食店では、それぞれの店ならではの麦切りを提供しているので、観光に訪れた時には、それぞれの店の味を堪能する事が出来ます。

鶴岡市の美しい絹織物

小麦を使った麺料理である鶴岡麦切りを郷土料理とする山形県鶴岡市は、江戸時代には城下町として栄えました。そして、明治維新以降からは、絹織物に力を入れ、次第に絹産地として知られるようになりました。養蚕から製糸、製織と絹織物の工程を全て行う事が出来るのは、鶴岡市のみです。昭和26年には鶴岡織物工業共同組合が設立されましたが、時代の流れから外国産などが多く使われるようになって、次第に絹産業は衰退してきました。

鶴岡市では、平成21年に「鶴岡シルクタウン・プロジェクト」がスタートしました。伝統工芸である絹織物を発展させる為に、様々なプロジェクトが行われています。中でも、キビソ・プロジェクトという、鶴岡シルクをブランド化するプロジェクトでは、様々なデザイナー達による斬新な作品が話題を呼びました。キビソというのは、蚕が最初に吐き出す糸の事で、この糸で織るとゴワゴワとした、特徴的な肌触りとなります。伝統工芸として受け継がれた技術は、新しい時代となり、新たな進化を続けていきます。鶴岡市に訪れた時には、伝統工芸に触れる事も良いのではないでしょうか。

鶴岡市の歴史

小麦を使った麺料理である鶴岡麦切りを郷土料理とする山形県鶴岡市とは、どのような所でしょうか。鶴岡市は、江戸時代には城下町として栄えていました。鶴ヶ丘城が建ち、藩主と家臣、そして領民達の結束は非常に固いものがありました。なぜ、このように一致団結出来たのか、その理由は藩政改革によるものでした。この改革を行った本間光丘は、財政に困っていた庄内藩の為に、藩士や農民達の借金を肩代わりし、無駄遣いを抑えて、見事に立て直しました。歴代藩主は、代々領民を大切にし、また、領民達もその事に深く感謝をしたのです。そして、庄内藩は激動の時代を見事に乗り切ったのです。

山形県鶴岡市は、その厳しい寒さでも知られています。冬になると、日照時間はとても少なく、雨や雪の日も多い地域です。梅雨時期になると雨の日が多いのですが、その厳しい気候の中、稲作地帯としても有名です。庄内平野は、その平らな土地と豊富な水、そして夏になると日照時間が増えて、昼と夜の寒暖差が大きいと、まさに米作りに適した土地でした。そして、庄内地方で米作りが行われたのは、奈良時代の初期の頃からと言われています。やがて、田んぼの形を長方形にするようにした事で、農業機械が使いやすくなりました。庄内地方で米作りが盛んなのは、米作りに適した土地と、人々の知恵によるものが大きいのです。

山形県の鶴岡麦切りは、小麦の魅力を活かした麺料理

鶴岡麦切りは、小麦の風味を最大限に活かした麺料理です。素材の味を活かせる料理というのは、シンプルなだけにとても難しいものです。鶴岡麦切りは、まさに素材の味を楽しめる麺料理なのです。その素朴さを味わっていただきたいです。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 山形県の麺料理「鶴岡麦きり」の原料となる麦は?

A.小麦