在原業平の和歌が名の由来!東京の向島名物の団子とは?

「東京ならではのお土産は?」と聞くと、「東京ばな奈」や「ひよこ」と答える方が多いかもしれません。しかし、これらのような比較的新しい名物より、もっと歴史ある団子が東京にはあるんです。

下町銘菓「言問団子」

浅草と隅田川を挟んで対岸にある東京都墨田区。下町としてしられる向島に江戸時代から伝わるのが、銘菓「言問団子(ことといだんご)」です。

普通、お団子といえば串に刺さっているもの。でも、言問団子は串に刺さってはいません。種類は小豆あん、白あん、みそあんの3種類。小豆あんと白あんは、よくあるあん団子とは違い、お団子にただあんこがかけられているのではなく、米粉のお団子があんこで包まれています。そして、みそあんは、お団子を包むのではなく、白玉粉の中にあんを包み込むというスタイル。

片面だけにあんこがかかっている普通のお団子とは違って、あんことお団子が満遍なく調和した味わいは格別で、さすがは幸田露伴や野口雨情、竹下夢二などにも愛された銘菓だと感じられます。

言問団子の歴史

名にし負はばいざ言問はん都鳥我が思ふ人はありやなしやと
都鳥よ、その名の通り都の鳥ならば教えておくれ、都にいる私の想い人はまだ健在なのかを

『伊勢物語』の「東下り」の段で、主人公が東国に至った場面で引用されている在原業平の歌です。『古今和歌集』にも収録されています。平安時代の歌人・在原業平が隅田川に至った時、そこにいた鳥の名前が「都鳥」だと聞いて詠んだ歌だと言われています。江戸時代末期、植木職人の外山佐吉という人が、隅田川沿いに団子屋を開いたおり、この歌にちなんで、店名と商品名を「言問団子」としたのがその始まりです。

この外山佐吉という方、植木職人と言いながらも、自分が作ったお団子に在原業平の歌をもってくるあたり、和歌や地域の歴史に通じたなかなかの教養人でもあったのでしょう。江戸時代末期の町人の教育レベルが高かったことがうかがわれます。

「言問団子」を食べに向島散策をしてみよう

江戸時代末期創業の言問団子は、今でも向島の地で営業を続けています。実は、言問団子自体はわざわざ向島まで行かなくても、対岸の浅草の松屋を始め、西武百貨店や高島屋など、都内各デパートでも購入することができます。でも、どうせなら向島の言問団子本店まで下町散策をかねて訪れてみるのがおすすめ。言問団子本店では喫茶スペースも用意されており、言問団子を食べながらお茶もいただけます。

おすすめのコースは、東京スカイツリーが起点となる「隅田川七福神めぐり」です。隅田川ぞいの向島界隈には、大黒様や恵比寿様が祀られた三囲神社や、布袋様が祀られた弘福寺など、七福神が祀られたお寺や神社が点在しています。そうした七福神をお参りするとともに、付近の史跡などを訪れるのが「隅田川七福神めぐり」コース。多聞寺か三囲神社で宝船をいただき、お参りしたあと七福神の分体をお請けしてコンプリートするのが江戸時代からの正式な七福神めぐりの作法だとか。このコースの途中には言問団子や長明寺の桜餅、志”満ん(じまん)草餅などがあって、下町の銘菓を食べながら楽しく歩くことができます。

東京スカイツリーや、浅草の浅草寺と仲見世通りは、平日でも観光客で賑わっています。しかし、向島周辺はまだそれほど観光客も多くなく、落ち着いた雰囲気が好きな方には穴場スポットです。のんびりとした下町の空気の中で、お団子を食べながらゆったり過ごすことができます。

歴史を感じながら「言問団子」を食べてみるのはいかが?

都を想って詠まれた在原業平の歌にちなんで名付けられた言問団子。歴史はめぐり、今は東京が都となりました。隅田川の流れも平安時代と今ではずいぶん違っているのでしょうね。そんな時代の流れに思いを馳せつつ、お団子をつまんでみるのもまた良いものです。

ザ・ご当地検定の問題

Q.在原業平の和歌が名の由来!東京の向島名物の団子とは?

A. 言問団子