東北は米どころの一つです。今回ご紹介するのは全国的にも有名な品種で、多くの県で栽培されています。ササニシキを親に持つ宮城県で開発された品種です。ここでは、その品種の誕生ストーリーをご紹介していきます。
大冷害を受けて誕生した歴史
ひとめぼれの親となるササニシキが開発されたのは、米不足が問題となっていた1953年頃です。品種改良で求められたのは、とにかく収穫量が多いことと麦を収穫した後の6月が田植えのタイミングとなる品種でした。ササニシキは少しずつ改良を重ねながら、作付け面積を増やしていきました。倒れにくく安定して収穫できる性質が受け、1990年には全国の作付け面積第2位になりました。ところがササニシキには冷害に弱いという弱点があり、1980年から3年間続いた冷害によって新品種への要望が高まります。冷害やいもち病などの病気に強くて倒れにくく、なおかつ食味が良い品種を探して選ばれたのが、愛知県発の品種である初星でした。
育種は1981年から開始され、1985年には品種としてほぼ完成し、1988年に起きた冷害でも耐えられることが証明されます。そこから3年間試験栽培が行われ、1991年に宮城県ほか2県で一般作付けが始まります。一般作付けが開始された当時は宮城県でひとめぼれの粘りを受け入れられない農家が少なくなく、作付け面積は限定的でした。そんな中、再び東北地方を大冷害が襲います。九州地方でも台風や大雨の自然災害が起きて、全国的に米が不作となりました。備蓄米までなくなり、カルフォルニア米やタイ米などを緊急輸入して対応せざるを得ない状況にまで陥ったのです。この状況を受けて、これまで消極的だった宮城県の農家もこぞってひとめぼれの栽培をするようになりました。
ひとめぼれは東北143号というのが正式名称ですが、商品名は一般公募の中から命名されました。地名や特徴とは関係が無いお米の名前は珍しいと言われています。名前には見ても食べてもひとめぼれしてしまうくらい美味しい、愛されるお米という意味が込められているそうです。ひとめぼれは粘りは強いですがササニシキのさっぱり感は引き継いでおり、バランスの優れた食味です。炊き上がりが柔らかいのでササニシキのように寿司のシャリには向きませんが、一般的な和食にはぴったりだとされています。
天守閣を想像して戦国時代に思いを馳せる
そんなひとめぼれの生まれ故郷・宮城県に名を残す戦国大名と言えば、仙石藩の初代藩主である伊達政宗です。宮城県仙台市はその昔陸奥国と呼ばれ、藩庁が設置されていました。現代に残る仙台城跡(青葉城址)は、関が原の合戦後1602年にはほぼ完成したと言われています。ところがこのお城には、顔となる天守閣がありません。その理由は、本丸を造っている途中に豊臣家が滅亡して徳川家が台頭してきたために必要なくなったという説と、建設費に莫大なお金をかけるよりも街づくりを優先すべきと伊達政宗が判断したという説があります。
天守閣は造られなかったものの、600人も収容できるほどの広い大広間と企画戦略室として機能していたとされる懸造という部屋は建築されていました。伊達政宗が死去後に震災や火災などに遭っても修復し、幕末まで残されていました。しかし、仙石藩が新明治政府に対抗する奥州越列藩同盟に参加したことによって賊軍と判断され、仙石城は取り壊されることになります。さらに太平洋戦争での空襲で、残っていた大手門と大手門脇櫓も焼失してしまいました。1967年に大手門と大手門脇櫓は復元されましたが、大広間と懸造は交通量の多い道路があることが理由で復元に至っていません。それでも、本丸の石垣は一見の価値があります。最大70度にもなる急勾配で、高さは最大17mです。石垣は3種類見つかっており、政宗時代のものと2~3代目のもの、4代目のものを並べて展示してあるコーナーもあります。また、石が敷かれた大広間跡も見ることが可能です。青葉城資料展示館ではCGで加工したお城の映像を流しているので、それを見てから実際の石垣を眺め、歴史に思いを馳せるのも良いかもしれません。
ご当地グルメに数種類の丼料理がある
宮城県では様々な農産物が作られていますが、その中でもひとめぼれは代表的なものです。県ではご当地グルメに様々な丼料理を開発しており、そちらにもひとめぼれが使われていますから、グルメ旅行に出かけるのもおすすめです。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 1981年に誕生した、宮城県の有名なお米の品種といえば?
A.ひとめぼれ