山形県などで食べられる、お好み焼きのルーツとされる食べ物とは?

山形県のご当地グルメを紹介します。元々、小麦粉を使った料理が得意な日本人にとっても愛着の深いメニューといえます。始まりは東京という説が有力ですが、山形県でも瞬く間に広がりを見せることに。その詳細について見ていきましょう。

エリアごとに異なる形状も!

山形県の名産として知られるどんどん焼きについてご存知でしょうか。「そもそも、どんどん焼きって何?」という人も多いかもしれません。日本が生んだソウルフードとしても知られるどんどん焼きですが、実は、日本国内でも複数の地方で名産や郷土料理として親しまれています。宮城県や岩手県、埼玉県などが代表的な例として挙げられますが、それぞれの地方によって微妙に異なるのが現実です。味付けはもとより、中に入れるトッピングや具材なども、その土地ならではのものを使うという傾向があります。また、円型や半月型、棒状などと形状の違いがあるのも特徴といえるでしょう。

山形県のどんどん焼きのルーツを探ってみると、戦前まで遡ることが必要です。大場亀吉氏という山形県にゆかりのある人物が、東京から山形県に持ち帰ったことが、どんどん焼きの始まりだといわれています。山形県のどんどん焼きでは、割りばしに巻かれているのが一般的ですが、これは熱いままだと食べることが難しい子どものことを気遣っての工夫です。

あっという間に山形県人に浸透したどんどん焼き

どんどん焼きやお好み焼きなどの小麦粉を使った料理や食べ物は、比較的日本人に好まれる傾向があります。なんと小麦粉を使った料理が登場したのは、安土桃山時代からともいわれるなど、その歴史の古さにも驚かされることになるでしょう。どんどん焼きについては、大正時代から昭和初期の頃に東京の屋台で販売されたのが始まりとされており、それが徐々に広がりを見せるようになります。山形県でも先述した通り、上京した一人の人物によって広められていきますが、他のどのエリアにも増して多くの人に支持されることになっていったのです。

どんどん焼きと呼ばれるようになった起源についても気になるところではないでしょうか。実にユニークな名前ですが、そのネーミングの由来には諸説あるとされています。屋台で売っていたため、屋台の場所を周知するために太鼓を「どんどん」と叩いたことにちなんでという説や売っているそばから「どんどん」売れていくからなどの説がありますが、その真相は定かではありません。何はともあれ、山形県でもその独特な名前と気軽に作れるというメリットもあり、瞬く間に多くの人に親しまれるようになります。あまりの人気ぶりから、どんどん焼きをモチーフにしたお菓子まで登場しました。小麦粉をベースにした餅菓子であり、サクサクとした食感が特徴です。おやつとしての人気もさることながら、お父さんのお酒のおつまみとしても愛され続けています。

活性化の起爆剤に

山形県のシンボル的存在としても知られる霞城公園周辺においての祭りやイベントの際にも、どんどん焼きを販売する屋台が多く見られます。地元住民はもとより、遠方からもどんどん焼きの購入を目当てに訪れる人も大勢いるほどです。もはやどんどん焼きは山形県のご当地グルメとして確固たる地位を確立したといっても良いのではないでしょうか。山形県でも、残念ながら人口減少や高齢化率の上昇などといった課題に直面している現実があります。行政や自治体にとっては、町興しの起爆剤として、どんどん焼きに対する大きな期待を寄せているのも事実です。子どもからお年寄りにまで人気があるだけに期待感は増すばかりといえるでしょう。

単なる小麦粉を使った料理じゃない!地元に恩恵をもたらす存在

どんどん焼きのルーツを紐解いていくと、安土桃山時代にまでさかのぼります。それ以来、ソウルフードとして親しまれてきました。シンプルな料理でありながらも、山形県ではご当地グルメとして、地元の活性化にも一役買っています。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 山形県などで食べられる、お好み焼きのルーツとされる食べ物は?

A.どんどん焼き

Q. 山形県などで食べられる「どんどん焼き」に普通使われるものは?

A.割りばし