ふぐの水揚げ港として有名な山口県の「はえどまり」市場。漢字ではどう書くか知っていますか?
全国で唯一のふぐ専門市場、下関の「南風泊(はえどまり)」!
「ふぐといえば、下関!」というほどに山口県下関市はふぐの水揚げで有名です。そんなふぐの町・下関は、日本海と瀬戸内海、二つの海を繋ぐ関門海峡に潮の流れが複雑に集まり、海の恵みが豊富なことから、市内に魚市場が三か所もあるのです。
「唐戸市場」は、観光客にも開放されていて主に養殖魚の相対売りを行います。「下関漁港市場」では一般鮮魚が扱われており、彦島の南風泊(はえどまり)漁港に位置する「南風泊市場」は全国で唯一のふぐ専門の卸市場です。
「南風泊市場」のある彦島は、下関市の最西端に位置し、春には桜が美しく、夏の海水浴場はファミリーで賑わいます。漁港対岸の竹ノ子島には橋で繋がっており、毎年花火大会が行われる景観豊かなスポットです。
下関では「ふく」と呼ぶ?!
「南風泊市場」のある山口県下関市では、「ふぐ」のことは「ふく」と呼びます。「不遇」を連想させる「ふぐ」ではなく「福」を連想させる「ふく」という縁起担ぎです。
ふくは高級魚として扱われることもあり、お祝いの席には新鮮で縁起物の「ふく」を頂きます。
昔は、日本中のふくがこの南風泊(はえどまり)漁港で水揚げされているほどに豊富に「ふく」が獲れたのだそうです。現在でも天然のふくがこの「南風泊市場」に集まってきます。
2月9日のふくの日に近い休日には、南風泊市場の場内で「ふくの日まつり」も開催され、ふく刺しやふくの加工品、海産物やその加工品の卸売が行われます。ふくのつかみ取りも盛り上がり、毎年恒例のふく鍋の振る舞いが心も体もあったまる一番の人気となっています。地元はもちろん遠方からもたくさんの人々が「ふくの日まつり」を楽しみにしています。
下関とふぐの密やかな関係?!
ふぐは縄文時代より食べられていた形跡があるもののやはり毒の処理が難しかったようで、同じ時代に毒で亡くなった形跡も見つかっているのだとか。それでもその美味しさには敵わないようで、長い歴史の中で食しては毒にあたる…という悲しい出来事が繰り返され、戦国時代の頃には豊臣秀吉によって「河豚食禁止の令」が出されるなどで、ふぐ食は一度完全に禁止されてしまいました。
しかし明治21年、下関は当時の総理大臣の伊藤博文により最初にふぐ食が解禁されました。実は美味しいふぐが集まる下関では、安全に毒を処理する手法が現地の料理人たちには伝わっていたのだそうで、禁止されていた後もふぐが食べられ続けていました。下関訪問の際に、ふぐ料理を食べた伊藤博文は、こんなに美味しいものを禁止にしていては勿体ない、と、下関に限りふぐ食を解禁したのだそう。
やがて全国的にふぐ食が食べられるようになった現在においても「熟練のふぐ料理人が集まる下関で調理されたふぐは安全」との信頼から、全国の約8割に及ぶふぐがこの下関の市場に集まるのだそうです。
日本で唯一?!伝統の「袋セリ」とは?!
南風泊市場では伝統の「袋セリ」でふぐの取引が行われます。昔から伝わるセリの手法で、日本でも南風泊市場でしか見ることができない独特なセリです。
セリ人は片腕に黒い布袋をしています。買い手は反対の袋口から手を入れて指で交渉します。握った指の形で価格を提示するのだそうです。
このセリは袋の中でしか金額がわからないという手法で、他の魚と代替えが効かないふぐは交渉が荒れて収集がつかなくなることから、それを避けるために、この両人にしかわからない「袋セリ」で値がついていくのだそうです。
ちなみに初セリは毎年9月頃行われ、地元の人をはじめ全国のふぐ通が注目します。
なぜ「南風泊」?!
そんな「南風泊市場」の「南風泊」という地名にはこんなエピソードがあります。
下関では、南から吹く風は荒天の前兆として警戒されてきました。暖かく湿った空気が南から流れ込むと雨が降り、寒い季節になると雨ではなく雪が降ってきて天気が荒れるのです。そんな南風を西日本や山陰では「はえ」と呼びました。
またかつて下関は魚だけでなくさまざまな商品が集まる港でしたが、大阪から下関を経て北海道に航路を取る海運船「北前船」もここを通りました。
さまざまな商品の売買を扱っていた「北前船」は江戸時代から長く日本の経済動脈として活躍していた廻船で、関門海峡を通る際に強い南風が吹くと荒天を警戒しこの地に停泊して休んでいたのだそうです。「はえ」の時は「とまる」ことから「南風泊(はえどまり)」という地名になりました。
ザ・ご当地検定の問題
Q.ふぐの水揚げ港として有名な山口県の「はえどまり」。漢字で書くと?
A.南風泊