日本人が大好きなラーメン。日本各地にさまざまな歴史や特色を持ったご当地ラーメンがありますが、山形県には「米沢ラーメン」があります。山形市内には100軒以上のお店が並ぶという米沢ラーメン。その魅力について、改めてまとめてみました。
米沢市で生まれた米沢ラーメン
米沢とは山形県の置賜地方に位置する市です。置賜地方最大の都市で山形県の中では人口が第4位です。そんな米沢で生まれた米沢ラーメンは、細打ちちぢれ麺とあっさりとしたしょうゆベースのスープが特色。ダシは野菜や煮干し、鶏ガラなどを使用するのが多くなっています。
毎日食べても飽きのこないあっさりラーメンなのです。
米沢市内では「米沢ラーメン」を掲げるお店が100軒以上にものぼります。それぞれのお店で趣向を凝らして、その店ならではのオリジナルの味を提供しています。各店主による毎日の努力の積み重ねが、米沢独特の旨味のあるあっさりスープの魅力です。
米沢ラーメンの魅力は麺にもあります。その秘密は水分をたっぷりと蓄えた麺。専門用語でいうと「多加水」と呼ばれる麺の製法で、小麦粉をこねる時に通常より多くの水を加えて練り上げます。もともと、ストレートに切り出した麺を職人が手もみをすることで、そのまま2日から3日熟成させると独特の食感を持つ手もみ縮れ細麺の誕生です。米沢ラーメンは原料粉配合と着色料無添加のため、少しずつ麺に黒みが帯び、「米沢の黒中華」として全国でも珍しい麺に仕上がっています。
米沢ラーメンの歴史
もともとラーメンが普及したのは、1923年の関東大震災による混乱の時期。そんな中でもチャルメラを拭きながらラーメンを食べさせる屋台を引く中国人がいました。中華料理を日本人向けにアレンジした中国風の蕎麦は、横浜の中国人街にて生まれて全国にも普及したと言われています。
1920年代には、米沢市の門東町にあったカフェ「舞鶴」の調理人である、常松恒夫さんの手により支那そばが売り出されました。彼は、東京の築地の政義軒で修行を積み、和洋食はもちろんのこと中華料理も作り始めました。彼は、米沢における最初の日本人ラーメン職人だったのです。
米沢ラーメンの特色は醤油ラーメンであっさりスープです。なぜ米沢ラーメンはあっさりスープなのでしょう。これには諸説あります。一番有力な説を紹介すると、中国人が日本に輸入し、常松恒夫さんが発展させたラーメンは1934年頃になると爆発的に米沢中に広まり、メニューにラーメンがないお店が一軒もないほど、米沢に定着しました。
その頃には米沢人がとてもラーメン好きとなっていたのです。そのため、米沢人は毎日ラーメンを食べるようになったのです。しかし、毎日食べていては飽きてしまいます。そこで、ラーメン職人たちは毎日食べても飽きないラーメンの開発にしのぎを削りました。そこで考案されたのが、あっさりとしたラーメンだったわけです。
しかも、現在でも米沢ラーメンの研究は日夜進んでいます。
ちぢれ麺となったのは?
米沢ラーメンのもう一つの特色は、ちぢれ麺です。もともと中国人が伝えた麺はストレート麺でした。しかしその麺をちぢれ麺に改良したのが、米沢ラーメンの開発者である常松恒夫さんだったのです。常松恒夫さんをはじめとして米沢のラーメン職人さんたちは、特徴のあるうまいラーメンを作ろうと日夜研究を重ねていました。
常松恒夫さんはある日、奥さんが大切にしている織物をしわくちゃにしてしまったのです。常松恒夫さんは奥さんに怒られると思い、反省してその織物に顔を埋めると、なんと、良い感触だったのです。そこで、麺をしわくちゃにすることを思い立ちました。それが、ちぢれ麺の誕生です。
米沢発祥の自慢すべき米沢ラーメン
米沢ラーメンは関東大震災直後の1920年代から中国人から伝わり、米沢人のたゆまない努力により開発に成功したラーメンです。その特色は毎日食べても飽きないあっさりスープと、食べ心地の良いちぢれ麺です。米沢ラーメンの開発は今でも続いています。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 山形県のラーメン「米沢ラーメン」といえば、次のうちどれ?
A.醤油ラーメン