日本が誇る「牧之原大地のお茶」といえば、どこの都道府県の特産品?

牧之原大地のお茶は全国的に知られています。その歴史は意外と浅く、明治時代に始まりました。全国最大の茶畑を作り上げた先人の苦労や牧之原大地のお茶の製法と味の秘密について紹介しましょう。

牧之原大地のお茶の特徴

静岡県の特産品として有名な牧之原大地のお茶は、日本を代表するブランド茶で「静岡牧之原茶」という商標で知られています。中でも「やぶきた」など玉露茶は高級品として贈答に欠かせません。「つゆひかり」や「さえみどり」などの新品種も売れ筋として地元では力を入れています。芳醇な香りを持つ「静岡牧之原茶」は、明治時代中期に「誘進流」という手揉み茶の一派を興した戸塚豊蔵や今村茂兵衛らが「深蒸し茶」製法の原型を考案したことでいっそう発展してきました。

一般の煎茶より3倍も長い蒸し時間の「深蒸し茶」は、コクや旨みが十分に引き出され、鮮明な濃緑色・芳醇な香り・まろやかな口当たりが特徴的です。牧之原大地のお茶は通常の蒸し時間では渋みや苦味が残ってしまうので、蒸し時間を長くすることにより弱点を克服することに成功しました。深蒸し茶を飲むと、そのまろやかな味わいに癒されストレス解消にもなります。少し熱めのお湯で渋みや苦味を出すと、甘いスイーツとよく合うでしょう。牧之原大地のお茶には、血中コレステロール値や血圧の上昇を抑える働きで知られるカテキンが豊富に含まれています。

また、心疾患予防の効果があるフラボノールや、リラックス効果をもたらすテアニンも含有されています。そのほか、ビタミン・植物繊維・ミネラル類など健康に資する成分の枚挙に暇がありません。牧之原大地のお茶の旬の季節は、柔らかい新茶の芽が出てくる春先です。4月中旬には肉厚に育った茶葉の新茶摘みが始まり、お茶を飲むと縁起が良いと言われる八十八夜には「静岡牧之原茶」独特の風味のあるお茶を飲むことができます。牧之原大地の地元島田市には「ふじのくに茶の都ミュージーアム」があり、牧之原大地のお茶を購入できるほか、茶摘み体験・手もみ体験・抹茶挽き体験などのアクティビティも可能で楽しいイベントが目白押しです。

牧之原台地にお茶畑ができた経緯について

徳川家康が駿府城を静岡に築城して以来、江戸時代を通じ静岡は徳川家のお膝元として栄えていました。その後明治維新によって1867年に大政奉還が行われると、15代将軍の徳川慶喜は静岡70万石の一大名に格下げされてしまい、慶喜の親衛隊である「精鋭隊」(後の新番組)の武士たちと共に元々徳川家の拠点であった駿府に移住しました。さらに1869年の版籍奉還により、「新番組」も解散になります。解散の憂き目を見た新番組の武士たちは無職となり、途方に暮れました。薩長などの倒幕の藩士と異なり、版籍奉還直後に彼らは明治政府から重用されることはなかったのです。そこで、「新番組」の隊長であった中條景昭が、当時不毛の土地として地元の農民から見向きもされなかった牧之原台地を開墾して茶畑にしようと思い立ちました。

中條景昭は元新番組の武士たちを率いて牧之原大地の開墾に取り組みました。牧之原大地は温暖な気候で日照時間が長いため茶の栽培に不向きとは言えないものの、水源確保が困難を極め、なかなか思ったように茶畑を作ることはできませんでした。農業の素人だった中條景昭たちは試行錯誤と紆余曲折を繰り返し、4年の歳月を経て1873年にようやく茶摘みまでこぎつけることができたのです。中條景昭はその後も開墾に専念し、神奈川県知事という要職の誘いがあってもこれを断り、牧之原大地から離れようとしませんでした。彼の死後も牧之原大地はお茶の生産地として発展を続け、茶葉の品質向上が図られて、良質のお茶を生産する全国で最大の茶畑となりました。

牧之原大地のお茶を現地で飲んでみましょう

春先に静岡県の島田や菊川を訪れて、現地で牧之原大地の新茶を試すことをおすすめします。ブレンドされていない牧之原大地の新茶を口にすると、その繊細で上品な味に驚くでしょう。静岡空港からも近いので、空港から市街地に行く途中に車で寄ると良いです。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 日本が誇る「牧之原大地のお茶」といえば、どこの都道府県の特産品?

A.静岡県