具材を醤油で甘辛く煮た料理のが佃煮であり、甘辛い味付けと具材のうまみがご飯のお供として長年愛されています。そんな佃煮ですが、名前に関してなぜ佃という字が書かれているのか分からないという人も多いです。そこで佃煮の語源を紹介します。
佃煮は東京都が元々どんな土地だったのか表している
佃煮の語源を調べると、東京都が元々どんな土地だったのか表していることが分かります。佃煮の歴史はとても古く、江戸時代に遡ることになります。江戸時代の東京は海水が土にしみこむほどの湿地地帯であり、その土地を埋め立てて生活圏を広げていったのです。ただ海水と山からの真水が混じることによって、東京都の至る所に汽水域があったので海と川の海産物が取れる場所になります。
しかし東京は武士の国と言われていた歴史があり、武士は刀を使って戦うことには慣れていてもそれ以外の商売や農業が漁業などの生業には慣れていなかったのです。そこで徳川家康は汽水域で取れる海産物を収穫することで食料自給率を向上させるためと、平和の時代になり武士をやめて商売人に転職する人のために見本として商売の本場大阪から漁業の専門家を大金を用意して呼び寄せたのです。
実は佃煮の語源の由来には、この大阪から漁業の専門家がかかわっています。この大阪から漁業の専門家と呼ばれる人たちは、大阪にある佃町と呼ばれる場所から呼び寄せられた人たちです。武士から商売人に転職する人のために見本として連れてこられた人たちは、東京に商売のノウハウは浸透するまで長くいてもらわなければ困ります。そこで徳川家康はこの人たちのために、現在の東京都の中心にある隅田川付近を埋め立てて孤島を作り家を建てます。その孤島の地名を、大阪の佃町から来た人たちのために作った土地なので佃島として名づけられたというわけです。
佃島に移住した佃町の漁業関係者は、その後狙い通りに商売人に転職をすることを決めた元武士に手ほどきをしながら汽水域になっている隅田川宙域で漁業を行い貝類や魚を漁獲していきます。その漁獲した貝類や魚で大きくて品質の良いものは、すべて徳川家への献上品として贈られて献上品から余ったものは販売してお金にしていきます。ただいくら漁業に最適な汽水域といっても、漁業をして収穫する際にどうしても献上できないだけでなく販売にも出せない小魚や貝類も取れてしまいます。
本来であれば献上品にも販売にも出せない小魚や貝類は捨てられてしまっていたのですが、そこは商人の町大阪気質のひとつ勿体ない精神が新し価値を生み出します。料理名はなかったのですが、大阪の佃町では販売に出せない小魚や貝類を捨てるのではなく美味しく食べる方法を考案し醤油と当時貴重だった少量の砂糖を使って甘辛く煮た料理法を行っておかずにしていたのです。
それを佃島に移住してきた大阪の漁業関係者が、隅田川で取れた小魚や貝類を使って醤油と少量の砂糖を使って甘辛く煮たのです。その甘辛く煮た小魚や貝類を販売に出したところ、これまで味わったことのない濃厚な味わいに東京の人たちは歓喜し爆発的にヒットします。その爆発的にヒットした情報が江戸城内に伝わることによって、佃町で作られていたその醤油と砂糖で甘辛く煮た小魚と貝類の煮ものを献上品として出すように命が出されます。
そして醤油と砂糖で甘辛く煮た小魚と貝類の煮ものを食べた徳川家は、その煮物の味を大層気に入りその後の献上品として贈るようにと願います。その際にこの料理にはまだ名前がついていないことを知ったことで、商品として売り出すために佃町の商人が佃島で煮る調理で作ったことからそのままの意味で佃煮として売り出されることになったのです。
佃煮は勿体ない精神が生み出した産物
現在では日本各地で食べられている佃煮の語源は、漁業のやり方を伝えるために大阪から来た佃町の漁業関係者が捨てるはずだった海産物を捨てるのは勿体ないと現地で食べられていた醤油で甘辛く煮た保存食からヒントを経て作られたのです。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 佃煮の語源となった佃島という地名がある都道府県は?
A.東京都