長野県飯山市には、謙信ずしと呼ばれ親しまれる押し寿司があります。謙信ずしの謙信とは、戦国時代に名を馳せた上杉謙信から名付けられました。なぜ、押し寿司に上杉謙信の名前がつけられたのか、その歴史と特徴を紐解いてみましょう。
上杉謙信が愛した笹ずし
謙信ずしは、長野県飯山市に戦国時代から伝わる郷土料理で、笹ずしとも呼ばれています。笹の葉の上に一口サイズの酢飯や具が乗せられたもので、保存食の役割をしていました。ある時、飯山市の富倉地域の人々が、武田信玄との合戦の為に川中島へと向かう上杉謙信に勝利の祈願に野戦食(戦場で食べる食料)として笹ずしを送りました。戦いに向かった上杉謙信は保存食として持ち歩いたそうです。それから、飯山市の人々は笹ずしの事を謙信ずしと呼び親しんできました。その作り方は後世にも受け継がれ、地域の人々はその味を大切に守ってきました。2000年には、長野県の選択無形民俗文化として認定されました。謙信ずしは、人々の知恵で生まれた保存食であり、一人の戦国武将を支えた大切な食料でもあったのです。
謙信ずしの作り方は、ワラビやゼンマイなどの山菜や、干し椎茸、人参、大根の味噌漬けなど好みの野菜などを具材として、油で炒めます。炒めた具材には醤油や砂糖などで甘辛く味付けをしておきます。笹の葉の上に酢飯と山菜、錦糸玉子に紅しょうがを乗せます。最後にアクセントとなる胡桃を飾ったら出来上がりです。モチモチとした食感と甘辛い具材、そして香ばしい胡桃が特徴で、全てが口の中で混ざり合い、笹の葉の爽やかな香りと共になんとも言えない美味しさを醸し出しています。謙信ずしに使われる具材に決まりはなく、油揚げやひじき、竹の子など各家庭によって様々です。飯山市の人々は、お祝い事があると見た目が華やかな伝統的な謙信ずしを作りもてなすのです。長野県に行った時には、戦国時代から人々が愛し続けている謙信ずしの美味しさを堪能してください。
長野県に残る史跡
モチモチとした食感が特徴的な長野県飯山市の謙信ずし。笹ずしと呼ばれる事もあります。そして、長野県内には川中島の戦いの跡地を尋ねる事が出来るのです。長野県長野市にある八幡原史跡公園は、かつて川中島の戦いにおいて重大な場面の舞台となった地です。この地には、武田信玄が本陣を置いて戦いに備えていました。そこに一人の上杉勢が単騎で乗り込んで来たのです。そして、武田信玄へといきなり刀で斬りつけてきたのです。武田信玄は咄嗟に持っていた軍扇で刀を防ぎました。そしてこの時、武田信玄の元へと乗り込んだのは上杉謙信ではないかと言われるようになり、やがて両者が一騎討ちしたとして伝説的に語り継がれるようになったのです。
八幡原史跡公園は、長野インターチェンジから善光寺へと続く道に位置し、参道には多くの土産物店が並び多くの観光客が訪れています。川中島古戦場とも呼ばれ、上杉謙信が武田信玄へと馬上から刀を降り下ろそうとする瞬間の銅像を見る事が出来ます。八幡原史跡公園は、長野県長野市小島田町1384-1にあり、戦国時代の歴史的瞬間が生まれた場所は、今は緑豊かな公園となっています。また、地元のボランティアガイドで結成された「川中島の戦い語り部の会」が当時の歴史的背景を詳しく教えてくれるので、歴史に詳しくなくても大丈夫です。長野県を訪れた時には歴史を知る旅をしてはいかがでしょうか。美味しい謙信ずしを食べながら、歴史の一部に触れるのも良いのではないでしょうか。
長野県の笹ずしといえば、モチモチとした食感が特徴の謙信ずし
長野県の郷土料理として愛されている謙信ずしは、戦国時代から続く美味しさです。その特徴は、モチモチとしたご飯の食感と山菜や野菜、そして笹の香りです。長野県を訪れた時には、そのどこか懐かしい香りがする謙信ずしをぜひ頬張っていただきたいです。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 別名を「謙信ずし」ともいう、長野県の押し寿司は?
A.笹寿し
Q. 武田信玄と上杉謙信の戦いで有名な、長野県長野市の公園は?
A. 八幡原史跡公園