ちらし寿司はお祝い事などの席に出される料理のイメージがありますが、愛媛県・松山で食べられる郷土料理にも、祝い事やお客様をもてなす際に作られていたちらし寿司があります。ご紹介しましょう。
瀬戸内海の魚をふんだんに使った華やかなちらし寿司
「もぶり飯」は、「もぶり鮓(もぶり寿司)」や「松山鮓(松山寿司)」とも言われ、瀬戸内海で獲れる新鮮な魚を使った「ばら寿司・ちらし寿司」の一種です。「もぶり」という聞きなれない言葉は、この地方の方言で「混ぜる」というような意味を持ちます。もぶり飯の一番の特徴は、エソやトラハゼなどの瀬戸の小魚でとった出汁と甘めの酢を使って酢飯を作り、その中に刻みアナゴや季節の野菜をもぶす(混ぜ込む)こと。この上に錦糸卵や紅ショウガなどを散らし、最後に旬の瀬戸内の魚介類をお好みで盛り付けます。
本格的な料理店ではウニや車エビを使って豪華に、居酒屋では酒の肴として刺身を中心にしたり、食堂ではジャコ天やシメサバなどでお手頃な食材を用いて作るなど、シチュエーションに応じて変化させることができる料理なのです。
文豪も愛した郷土料理
松山には昔から祝い事やお客様をもてなす際に「ばら寿司(ちらし寿司)」をふるまう習慣があり、瀬戸の小魚を散りばめた「松山鮓(もぶり飯)」は、その中でも最高のおもてなし料理だったといえます。
明治25年8月、東大予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れ、親友の正岡子規の家に立ち寄った時、子規の母・八重が漱石をもてなすために供した料理が松山鮓(もぶり飯)でした。漱石はこれを大いに喜び、洋服の膝を正しく折って正座し、松山鮓(もぶり飯)を一粒もこぼさぬように行儀正しく食べていたそうです。その時の様子は同席していた高浜虚子が、後に「子規と漱石と私」という書物の中で回想しており、あわせて司馬遼太郎の著書「坂の上の雲」の中にもその場面が出てくることから、後世に語り継がれています。
また、子規は松山鮓(もぶり飯)に関する俳句を数多く残しており、故郷の愛する郷土料理だったことが伺えます。後日談として明治28年の春、松山中学校の教師として漱石が再び松山を来訪した時(このときの経験が後年、漱石の代表作の一つ「坊っちゃん」のモデルになります)、まっさきに所望したのが松山鮓(もぶり飯)だったそうで、漱石にとってもお気に入りの松山料理だったのでしょう。
松山鮓(もぶり飯)を詠んだ句碑
松山市には、松山鮓(もぶり飯)を詠んだ句碑もあるのです。松山市水産市場運営協議会が水産市場25周年と、夏目漱石の小説「坊っちやん」の発表100年を記念して建立しました。いずれも正岡子規が詠んだ句で、
「われに法あり君をもてなすもぶり鮓」
「ふるさとや親すこやかに鮓の味」
「われ愛すわが豫州松山の鮓」
上の3つの句が刻まれた句碑が、松山市公設水産地方卸売市場の正門に立っています。
もぶり飯を食べに行こう
もぶり飯を食べるなら松山市二番町にある「日本料理 すし丸本店」がおすすめ。瀬戸内海、宇和海の活きの良い魚介をふんだんに使った寿司や魚料理、郷土料理を気軽にいただくことができるお店です。
こちらのお店の松山鮓は一面に敷き詰められた錦糸卵の上に、エビ、アナゴ、さやいんげん、紅ショウガなどが散らされ、見た目も華やかで豪華。お吸い物が付いてなんと1,050円(税抜)でいただけます。他にも松山鮓と郷土料理の組合せたセット「松山御膳」は1,950円(税抜)で、松山のじゃご天や久万高原の手造りこんにゃくなど、地域の味が色々楽しめます。そしてもちろん、愛媛の人気ご当地グルメ・鯛めしも人気メニューでありますので、合わせてどうぞ。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 地元でとれた小魚をちりばめた、愛媛県名物のちらし寿司を何という?
A. もぶり飯