美味しい日本の家庭の味「肉じゃが」ですが、「肉じゃが」の発祥の地をご存じでしょうか?なんと現在「肉じゃが」の発祥の地を主張している市は2つもあるのです。ひとつは京都府の舞鶴市ですが、もう一つはどこでしょう?どちらも由来は同じなのですが、どちらが先か?という話のようです。
肉じゃがの発祥の地はどこ?
日本人にとって家庭的な料理といえば「肉じゃが」誰もが食べたことあるのではないかというぐらい私たちの身近にある料理です。
そんな身近な「肉じゃが」の発祥地を主張している2つの市とはどこでしょうか?ひとつは京都府の舞鶴市ですが、もうひとつは広島県の呉市なのです。
広島県の呉市には、「くれ肉じゃがの会」という肉じゃがで町おこしをしている団体があるほどに呉市が発祥の地である!という主張をしているのです。
もともと、肉じゃがの発祥地は京都府の舞鶴市が先に名乗り出ていました。その根拠として、肉じゃがの誕生には日本海軍の東郷平八郎が関わったという話があります。
東郷平八郎は、明治4年から11年までイギリスに留学しており、そのときに食べたビーフシチューをとても気に入り、また食べたいと思った東郷さんが、ビーフシチュー再現してほしいと海軍の調理人に頼んだところ、ビーフシチューを知らない調理人が情報だけをたよりになんとか試作を重ねシチューを赤ワインとバターの代わりに、しょうゆと砂糖で味付けした結果としてできあがったのが後の肉じゃがの元祖「甘煮」。その後、戦後の昭和40年代後半あたりに「肉じゃが」という名前で、家庭料理として普及したそうです。
それぞれの根拠として東郷平八郎がイギリスからの帰国後初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府である。という舞鶴市の主張と、いや、東郷平八郎は舞鶴赴任より10年前に呉鎮守府の参謀長として赴任しているのでこちらが先である。という呉市の主張があります。
2つの市で肉じゃがの発祥を主張しているので、さぞ仲が悪いのでは?と思いますが、現在は発祥地に関する「論争」を逆手に利用し、それぞれがライバル関係であるという事をアピールしながら連携し、切磋琢磨ながら肉じゃがと海軍ゆかりの街として、仲良く町おこしをしているそう。呉のグルメイベントには、舞鶴から肉じゃがのPR団体が呉にやってきますし、逆に舞鶴のグルメイベントには、呉の肉じゃがのPR団体が参加する事で、呉と舞鶴の肉じゃがを食べ比べでき、二倍楽しめるとのことで、お客さんにも好評なのだとか。
舞鶴市と呉市の肉じゃがはちょっと違う?
舞鶴市と呉市の肉じゃがですが、どう違うのかと疑問に思う方もいらっしゃると思いますが、このふたつの肉じゃが、実はちょっとした違いがあります。舞鶴の肉じゃがでは、いもは男爵いもを使用しており、彩りとしてグリーンピースやニンジンを加えています。一方で呉市の肉じゃがはいたってシンプル。具はジャガイモ・牛細切れ肉・糸コンニャク・タマネギのみです。使用するいもはメークイン男爵を使用しており、ちょっと違うようです。一度は食べ比べしてみたいですね。
当時ビーフシチューはすでにあった?
まことしやかに拡がっている肉じゃが誕生の経緯や発祥の地についての伝説ですが、実は当時の日本では既にビーフシチューやハヤシライスが洋食屋での一般的メニューとして存在していたというのです。
また、シチュー自体は明治初期には既に日本に入ってきており、東郷が舞鶴や呉に赴任する前の明治22年に日本海軍が制定した「五等厨夫教育規則」にはシチューの作り方が「シチュウ仕方」すなわち「シチューの作り方」と書かれており、このことから、そのころすでに海軍ではビーフシチューのレシピが存在していたということがわかります。さらに、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同じような方法で作られているため、代用したという話には信憑性がありません。
この都市伝説のような肉じゃが誕生の話は、1990年代中ごろに舞鶴市が町興しのため「東郷平八郎が舞鶴に赴任した際にビーフシチューを作らせようとして、肉じゃができた」として宣伝したことが始まりであるという事です。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 旧日本海軍の鎮守府があり、肉じゃが発祥の地を主張している広島県の市は?
A. 呉市