バターが効いたビスケット生地の皮に和風の白餡を挟んだ、お土産としても人気の大分市の銘菓は?

バターが効いたビスケット生地の皮の中に和風の白餡が入った焼き菓子で、お土産としても人気の大分の銘菓。とある人物の名前を冠したお菓子なのですが、それは一体何というでしょう?

大分の銘菓!南蛮菓「ざびえる」?!

大分のお土産で長く愛されている南蛮菓「ざびえる」をご存じでしょうか?県内では圧倒的な知名度を誇る焼き菓子で、その趣のあるパッケージから県外にもファンが多いお土産です。
「ざびえる」は、白餡を包み込んだ焼き菓子です。品よく上下に焼き色が着いた薄い小麦色をしていて、口紅くらいの大きさで俵型に丸まっています。透明な個包装の中央には黒地に金・銀・光沢のある赤をあしらった商品名のロゴが光り、シックでおしゃれです。
金の包装は刻みレーズンをラム酒と合わせたラムレーズン餡で、銀の包装はベーシックな白餡という2種類の味。6個入り、8個入り、12個入り、24個入りのラインナップで販売され、ちょうど半分ずつ2つの味が楽しめるように梱包されています。
ビスケット皮は、バターの香りが豊かでしっとりと上品な口当たり。薄い皮の内に詰まった風味豊かな濃い白餡が小ぶりながらも口いっぱいに広がり、多幸感をもたらしてくれます。
バター風味の皮は、当時のヨーロッパ風のお菓子をイメージ。そして精選された純和風の白餡と芳醇なラムレーズン餡が合わさり、とてもモダンで、この味覚の和洋折衷が南蛮ロマンを感じさせる仕上がりになっています。
パッケージにも異国情緒があふれ人気です。箱には黒いベロアの布が張られていて、金箔を押したような「ざびえる」のマーク、赤いインクで引いたような線や外国語でのメッセージが並んでいます。この思わず手に取りたくなる高級感あふれるビロード箱は、聖書をイメージしているのだそう。
そしてそれをラッピングする包装紙も中世の西洋地図を彷彿させるデザインで、お菓子だけでなくパッケージにも強いこだわりが溢れています。
そんな「ざびえる」は60年以上愛され続ける大分の代表的な銘菓ですが、実は一度店頭から消え復活を遂げた奇跡のお菓子なのです。

「ざびえる」復活のストーリーとは?

当初、南蛮菓「ざびえる」は、大分の老舗菓子メーカー「長久堂」から販売されていました。
昭和32年(1957年)に発売され、当時には珍しい和洋折衷の上品なお菓子ということで人気が高まり、大分土産のスタンダードとなりました。当時は、草餅や饅頭、煎餅などがメインだった大分のお菓子売り場では、「ざびえる」はおしゃれでセンセーショナルだったようです。
しかし、平成12年(2000年)に長久堂が倒産。長く愛されたお菓子でしたが、「ざびえる」も製造が中止され、残念ながら店頭から「ざびえる」は消えてしまいます。
ところが、大分名物の「ざびえる」が無くなってしまうのは惜しい、寂しい、との声が県内・県外から多数あがり、その声に応える形で、当時、長久堂の従業員だった有志で「ざびえる」を復活することになりました。私財を投じて尽力された甲斐もあり、翌年平成13年(2001年)に「ざびえる本舗」を設立、見事「ざびえる」を復活させました。
今では、長久堂の銘菓だった瑠異沙(るいさ)なども復活させ、新たに大分名物となるお菓子も鋭意開発・販売しています。
まさに「ざびえる」を愛する多数の熱意が「ざびえる」を復活させたのです。令和5年(2023年)には新たに工場も増設され、「ざびえる」はまだまだ末永く愛されることになりそうです。

大分でなぜ、フランシスコ・ザビエル?

『九州のお土産「ざびえる」』という情報だけでは、長崎のお土産とか、種子島由来のお土産などと勘違いされることがある大分銘菓の「ざびえる」。
ではなぜ大分で「ざびえる」なのかというと、もちろん日本にはじめてキリスト教を伝えたことで知られる宣教師「フランシスコ・ザビエル」からその名が付いたことは間違いありません。
天文20年(1551年)、豊後の国を訪れたフランシスコ・ザビエル。当時の豊後を治めていた戦国大名・大友宗麟からの庇護を受け、神の教えを広めるとともに、府内の街(現在の大分市)に小学校や大病院を次々に立てていきます。医療や学問、南蛮文化の広がりと豊後の礎を築いた功績を讃え、和洋折衷の南蛮菓「ざびえる」が生まれたのだそうです。
ギフトにぴったり、贈られてうれしいパッケージ。優しく、上品でバターの香りと口当たりで異国を思わせる南蛮菓「ざびえる」。オンラインショップでも購入できるので、大分の銘菓を是非味わってみてください。

ザ・ご当地検定の問題

Q.バターが効いたビスケット生地の皮に和風の白餡を挟んだ、お土産としても人気の大分市の銘菓は?

A.ざびえる