三重県桑名市の名産「しぐれはまぐり」を命名した、江戸時代中期の俳人とは?

しぐれはまぐり(時雨蛤)は、三重県桑名市で製造される蛤の佃煮のことです。もともとは煮蛤と呼ばれていましたが、なぜしぐれはまぐりと呼ばれるようになったのでしょうか。しぐれはまぐりの命名者や美味しい食べ方、桑名市の魅力についてご紹介します。

しぐれはまぐりの命名者は一体誰?

しぐれはまぐりの名産地・三重県桑名市は、古くから蛤が水揚げされ、江戸時代には東海道を旅する人たちが立ち寄る宿場町として栄えました。旅人たちがお土産として持ち帰れるように考案されたのが蛤の佃煮で、むき身にした蛤を湯がき、それをだまりと呼ばれる煮汁の中に入れ、煮しめて作られたと言います。この製造方法は代々受け継がれ、桑名市内でしぐれはまぐりを製造しているメーカーではそれぞれ独自の元だまりを持ち、元だまりに新しいだまりを継ぎ足しながら蛤を炊く、浮かし炊きという方法で製造しています。また、仕込みには独自のたまり醤油を使い、出来上がったしぐれはまぐりにはそのお店の味が反映されているのです。

製造が始まった当時は、煮蛤と呼ばれていましたが、なぜしぐれはまぐりと名前を変えたのでしょうか。しぐれはまぐり製造の老舗・総本家 貝新 新左衛門の初代で蛤業者だった貝屋新左衛門は、製造している煮蛤に何か良い名前をつけたいと、俳人の佐々部岱山(ささべたいざん)に相談しました。佐々部はそのことを師である各務支考(かがみしこう)に話します。各務は煮蛤が作られるのは10月の時雨(しぐれ)が降る頃だからと、時雨蛤と命名したというのです。こうして煮蛤はしぐれはまぐりとして1690年頃から製造が始まり、全国に名前が浸透していきました。全国の名物を紹介する料理山海郷(1749年刊)という料理書には、時雨蛤が桑名市の名産として紹介されています。

しぐれはまぐりの簡単で美味しい食べ方

三重県桑名市には、しぐれはまぐりを製造している業者が複数あり、自店舗や自社サイトで販売している他、県内外のスーパーや百貨店にも出店しています。ほとんどの業者は貝新という名前を店名に使っていますが、これは屋号で、貝屋新左衛門がしぐれはまぐり製造の看板を立ち上げた時に誕生しました。製造業者は桑名市以外にも点在し、県内なら四日市市、県外では愛知県名古屋市や東京都などです。しぐれはまぐりは大手通販サイトでも取り扱われているので、地元でなくても商品を比較的楽に入手することができます。

しぐれはまぐりの味は各メーカーによって違いがありますが、醤油ベースで、貝の旨味と生姜独特の風味をしっかり味わえるという特徴があります。桑名の殿様という民謡には、しぐれはまぐりのお茶漬けを唄った一節がありますが、地元民にとってしぐれはまぐりのお茶漬けは定番メニューで、夏は冷たくしても食べられています。炊きたてをご飯にまぶしたり、おにぎりの具にもぴったり。スパゲティに使うとボンゴレ風に仕上がり、工夫次第で和風から洋風までいろいろとアレンジを楽しめます。はまぐりにはビタミンB12やタウリン、ミネラル(亜鉛など)そしてタンパク質が豊富に含まれていて、肝臓の機能を高めたり二日酔いの防止、貧血予防といった効果が期待されます。

三重県桑名市のグルメはやっぱり蛤!

古くから蛤の産地として知られていた三重県桑名市ですが、宮中の和歌に登場することから、平安時代にはすでに桑名の蛤の名は広く知れ渡っていたと考えられています。江戸時代に入ると、蛤は徳川家に献上されてるようになり、桑名市はまさに蛤と共に歩んできたと言っても過言ではありません。昭和40年代には年間3,000トンもの漁獲量があった蛤ですが、一時1トン以下まで落ち込んだこともありました。桑名市は稚貝の放流など蛤の復興に取り組み、年間数百トンまで回復させることに成功したのです。しぐれはまぐりは桑名市以外でも手軽に購入できますが、地元のお店では焼き蛤やお吸い物、しゃぶしゃぶ、フライなど蛤を使った料理を楽しめます。ジョサイア・コンドルが設計した、洋館と池泉回遊式庭園を持を持つ六華苑や、桑名城址九華公園など文化的な見どころを持つ桑名市は、観光地としての魅力も備えています。

しぐれはまぐりの楽しみ方はいろいろ

保存が利くしぐれはまぐりは、お土産に最適な桑名市の名産です。ご飯やいろいろな料理に使え、工夫次第で食べる楽しみも広がります。観光で桑名市を訪れたら、しぐれはまぐりだけでなく、その土地に根付く蛤料理も一緒に堪能できます。

ザ・ご当地検定の問題

Q. 三重県桑名市の名産であるハマグリを用いた佃煮を「しぐれはまぐり」と命名した、江戸時代中期の俳人は?

A. 各務支考

Q. ジョサイア・コンドルが設計した洋館や、池泉回遊式庭園などからなる三重県桑名市の文化遺産は?

A. 六華苑