今や焼肉は国民食と言っていいほど好きな人が多いですよね。シンプルに炭火で焼いた肉は美味しいですが、日本では一ひねりした焼肉料理も生まれています。ここでは、その一つである鍋料理について紹介していきます。
ちりとり鍋の起源と特徴
大阪発祥の四角い鉄板鍋を使った鍋料理を、ちりとり鍋と言います。考案した店は大阪市生野区にある「万才橋」という鉄板焼きの店です。万才橋でちりとり鍋が誕生したのは昭和34年頃。使用する鍋は、万才橋の店主が近所の溶接工場に注文して作ってもらったという特注品です。少し深さがあり取っ手が付いた鉄板は、鉄板焼きと鍋料理の中間と言える料理を作るために考えられました。
肉とホルモンが主役のこってり味!
万才橋のちりとり鍋は上ミノとバラ、ハラミの3種盛りとテッチャンや赤セン、センマイなどのホルモン系の盛り合わせを基本に、お好みで他のホルモンや赤身を追加していくというのが定番の食べ方です。そして最もポピュラーなのは、タレとキモだけの「キモ焼」からスタートする食べ方です。タレとキモだけが乗った鉄板を弱火にかけ、焦げないように焼きます。キモの周りが白っぽくなったら食べごろです。火を通しすぎないキモにタレが絡んで、トロリとした食感。クセがなく万人受けする味わいです。
キモを食べ終わったら、先述した醤油味の3種盛りと味噌味のホルモン系盛り合わせに移るのが定番の流れです。こちらも弱火でじっくりと火を通すのが鉄則で、肉やホルモンから旨味や脂が出てきてタレに深みを加え、それを玉ねぎが吸ったら食べごろとなります。万才橋の特製ダレは醤油に味噌、砂糖、そしてゴマと胡麻油、唐辛子を独自の分量で配合したものです。肉や野菜を食べ終わった後は、しめにご飯かうどんを注文するのが鉄板。肉やホルモンの旨味が溶け込んだ甘辛いタレをご飯やうどんに染み込ませ、最後に生卵を絡ませたら、極上の下町ご飯の完成です。濃い味付けがビールや焼酎に合います。
ちりとり鍋の名前の由来と普及
ちりとり鍋が誕生した昭和中期の生野は、焼肉店の激戦区でした。そのため他店との差別化を図るべく、すき焼きのように焼くのと煮るのを合わせたような料理であるちりとり鍋が考えられました。発売当初は特に名前もなく、地元の人には「30円の鉄板焼き」などと呼ばれていたと言われています。ちりとり鍋と名付けられたのは随分と時間が経ってからのことで、その上命名者は店の人とは関係のない地元誌の編集者でした。万才橋の店主の息子が兄弟で始めた大阪ミナミの「まつりや」が出店した際の記事に書かれたのがきっかけです。鍋の形がちりとりのようだから、というのが名前の由来と言われています。
まつりやが出店したのは2000年初頭。鉄板はもちろん、タレも具材も万才橋のレシピをそのまま引き継いで営業しています。店名には、毎日沢山のお客さんで祭りのように賑わいますように、という願いを込めました。老舗デパートなどが建ち並ぶ心斎橋エリアという立地も当たって、まつりやは一気に人気店となり、ちりとり鍋の知名度はぐんと上がりました。
その後マスコミに取り上げられ、全国区の料理へと発展します。関西圏を中心に各飲食店がオリジナルのちりとり鍋を考案しており、様々な味が楽しめる状況になっています。野菜をたっぷり使ったちりとり鍋がポピュラーになりつつあるものの、本場のちりとり鍋は肉やホルモンが中心のこってり味です。そのため、別の料理と考えたほうがいいのかもしれません。本場の味を味わいたい人は、ぜひ大阪ミナミのまつりやか生野の万才橋へお出かけください。
大阪で本場のちりとり鍋を食べてみて!
全国で食べられるようになったちりとり鍋は、生田の万才橋という鉄板焼きの店が発祥です。息子兄弟が出店したミナミのまつりやでも同じ味で提供されているので、大阪に行った際はぜひいずれかの店に足を向けてみてくださいね。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 大阪が発祥の、四角い形の浅く平らな鍋を使う鍋料理は?
A. ちりとり鍋