現在ではそば屋の定番メニューになっている鴨肉とネギが入ったそば。その発祥の地は、日本橋馬喰町でした。そして、その当時作られた元祖の味は、現在まで受け継がれています。歴史と現在をひもといてみましょう。
名前の由来
鴨南蛮は具材に鴨を使った汁そばです。では、どうして鴨「南蛮」と呼ぶのでしょうか?江戸時代の後期の国学者・喜多村信節が1830年に発行した、その時代の江戸の習俗などを記した『嬉遊笑覧』飲食の項には「葱を入るるを南蛮と云ひ鴨を加へてかもなんばんと呼ぶ昔より異風なるものを南蛮と云によれり」とあります。現代語に訳せば「葱を入れた料理を南蛮と呼び、そこに鴨を加えたものが鴨南蛮と呼ばれる。昔から風変わりなものを南蛮と呼んできたのだ」となります。風変わりなものはとにかく「異国風」ということで南蛮渡来のもの=南蛮と呼んだということなのでしょう。
鴨南蛮についてはまた、長崎の「南蛮煮」を参考にして作られたともいいます。南蛮煮とは、葱や唐辛子を使った料理のことで、こちらは長崎にいた南蛮人、つまり外国人が葱を使った料理を好んでいたからだそうです。いずれにせよ、葱入り鴨汁を使っているから、鴨南蛮だということになっているようですね。
鴨南蛮は日本橋笹屋が元祖
同じく『嬉遊笑覧』には、「鴨なんばんは馬喰町橋づめの笹屋など始めなり」という記述があります。1810年ごろ、今でいう東京都の日本橋馬喰町にあった鞍掛橋という橋のたもとで、笹屋治兵衛という人が自ら考案した鴨南蛮そばを売り出したのがその発祥だと伝わっており、それから20年ほど後に記された『嬉遊笑覧』にこうした記述があることが、その裏付けとなっています。
鞍掛橋は、江戸時代にいたるところに流れていた掘割にかけられていた橋の一つ。現在では埋め立てられ、橋もなく、ただ鞍掛橋交差点という名称でのみ残っています。橋のたもとというのは人の往来が多いところです。しかも日本橋に近い馬喰町ですから、かなり繁盛した店だったのでしょう。
笹屋は明治時代に3代目によって「元祖鴨南ばん」と店名を変えました。ところが、残念ながら大正12年の関東大震災により発生した大火災で店舗は消失してしまいます。その後、4代目が浅草に店を復興。そして、6代目になって神奈川県藤沢市の湘南台に店舗を移転。現在8代目が「元祖 鴨南ばん 本家」として初代治兵衛から伝わる鴨南蛮の味を守っています。
2つの鴨南蛮と鴨せいろ
初代笹屋治兵衛が作っていた鴨南蛮は、野生のマガモの肉を使っていました。マガモは渡り鳥。冬にしか日本にやってきません。そのため、江戸時代には夏の間は鴨南蛮を出せず、うなぎを出していたといいます。
明治時代になり、マガモとアヒルをかけあわせたアイガモが開発され、養殖されるようになりました。それでやっと通年で鴨南蛮を出せるようになったようです。現在湘南台の「元祖 鴨南ばん 本家」では、マガモを使った江戸時代の鴨南蛮を再現した「治兵衛の鴨南ばん」と、アイガモを使った「鴨南ばん」の2種類の鴨南蛮が提供されています。
そしてもう一つ、「鴨せいろ」というメニューもあります。マガモが養殖されたおかげで、夏にも鴨南蛮を出せるようになったのはよかったのですが、昭和初期に夏に汁そばの鴨南蛮は合わないという客がいたそうです。当時の店主は5代目の桑原光二さん。その奥さんのトイさんという方が、試行錯誤の末に開発したのが、つめたいもりそばを温かい鴨南蛮汁につけて食べる「鴨せいろ」でした。
江戸時代の味を求めて藤沢まで
現在、アイガモ肉を使った鴨南蛮はどこでも食べられます。しかし、江戸時代に開発されたマガモ肉の鴨南蛮を食べられるのは「元祖 鴨南ばん 本家」だけ。マガモが渡ってくる冬になったら、藤沢まで江戸時代の味を求めて行ってみてはどうでしょうか?
ザ・ご当地検定の問題
Q. 日本橋にあった『笹屋』が発祥とされる、鴨肉とネギが入ったそばは?
A. 鴨南蛮