近年は節分の時期に日本全国で食べられるようになった恵方巻ですが、そもそも大阪府で発祥した風習だというのはご存知でしょうか。そもそも恵方、と呼ばれていた方角がどの方角なのか、その文化誕生の背景についても紹介します。
花街の恵方巻き文化
あの太い巻き寿司を恵方巻きとして食べる文化は大阪府に昭和40年頃から存在していたと言います。しかし、恵方巻きは大阪でも有名な風習だったとは言い難く、厳密にどの時期に食べられていたものでどの程度浸透していたかを示す文献や根拠がないこともまた事実です。ですが、現在まことしやかにささやかれている恵方巻きの起源と呼べる説が、大阪の花街で遊女に丸かぶりさせる御大尽遊びの一環として誕生したものであり、恵方を向いてかぶりつくというゲンを担いだものとは一線を画すところから興ったというものです。確かに節分に払いたい鬼の苦手なものは大豆と鰯の頭、と相場が決まっておりますから、それとは関わりのない恵方巻きが節分に食べられる、というのは後付けのようです。
では、恵方と呼ばれる方角もでたらめなのかというとそんなことはありません。この恵方、とは陰陽道において縁起がいい方角のことを指示しているのですが、この恵方は東北東、西南西、南南東、北北西の4つの方角のことを言っているのです。たった4つの方角ですが、毎年陰陽道独自のルールによって西暦を計算し直し、その年いちばんの恵方を決定します。その方角を向きながら無言で巻き寿司を食べるという行為に関しては、恵方から入ってくる良い運を漏らさないために、口をつぐんで恵方巻きを頬張るのだと言います。恵方巻きを切ってしまうと良い縁を切る、というのと同じ切るという言葉が含まれるため縁起が悪いとされ、一気に食べることが推奨されています。
太巻きを頬張る文化はものぐさから生まれたという説
大阪府此花区には太巻きを頬張る、という行動のルーツがあると言われています。この土地に住まう人たちは折に触れて村の人たちを集めて宴会を開いたり、肝試しをするなど集落ぐるみで集まる文化風習があったと言われており、屋外に集まって食事し、遊んで歌って踊るのです。その時に寿司が食べたい、と言い出した一人が、切った巻き寿司では皿も必要だし大体何度も口に運ぶのが面倒に思ったのか、切らないで太巻きを作るよう要望したのだと言います。この切らずに振舞われた巻き寿司こそ恵方巻きの元祖、元となる口いっぱいに巻き寿司を頬張る文化であると言われています。この振る舞いが区の外にあたる地域にまで広まったことによって大阪全土でこの振舞いが知られることになり、結果恵方巻きという文化が形作られるきっかけになったという説もあります。
今やどこでも食べられるようになった恵方巻き
恵方巻きはセブンイレブンが全国に紹介し、それに追随する形で他のコンビニエンスストア、スーパーマーケットなどが販売を開始したことで一大ムーブメントとなりました。太くてシンプルな巻き寿司から、揚げ物を巻いた変わり種まで様々なスタイルの恵方巻きが売られていますが、肝心なのはその食べる際の恵方を向いて無言を貫くスタイルです。時代は変わっても恵方から来る良い運気を逃がさないように、という根幹の部分は決して変わりません。
発祥地の大阪府だけでなく、日本全国の店舗で販売されているだけに簡単に手に入れることが可能になりましたが、その太巻きを食べる文化や恵方の意味や背景を知ることでより味も風習も楽しめることでしょう。今は花街が失われてしまい、また此花地区はかつてのような文化風土を継承してはいないものの、大阪は紛れもない恵方巻き発祥の地です。次の節分は大阪の地で迎え、恵方巻き発祥の地の気風を感じながら太巻きを頬張るのも悪くないかもしれません。
恵方巻きは大阪府発祥とされる風習
今や節分の当たり前な風習になりつつある恵方巻きは大阪府発祥の文化でした。正確なルーツや文化背景は未解明ですが、発祥の地である大阪に向かえば恵方巻きが息づいた風土を感じながら、恵方巻き発祥の文化背景を感じることが出来るかもしれません。
ザ・ご当地検定の問題
Q. 大阪の風習「恵方巻き」で、「恵方」とされる方角は全部でいくつ?
A.4
Q. 大阪の風習「恵方巻き」で、「恵方」とされる4つの方角に含まれないのは?
A.東南東